バプテストの歴史 2004年4月5日

 

4月5日 キリストに捕らえたれて謙遜に仕えた貴族
       みことば 第1コリント1:23−31

 使徒パウロはコリントのクリスチャンたちに、クリスチャンの召しについて次のように書いています。「権力者も多くはなく、身分の高いものも多くはありません。」 イギリスのある貴族夫人が言った言葉を引用すると、「"M"(「多く」の英訳はmany)という文字のゆえに神に感謝します。」 その理由は、Mがなけれな、"MANY(多い)"は"ANY(少し)"になってしまうからです。そして、そうなら彼女は永遠のいのちの望みがなかったからです。ウィリアムH.ブリスバン博士、は南カロライナのチャールストンの近くで貴族階級の家庭に生まれました。彼も、神の恵みのゆえに召しを受けました。彼もまた"多くない"うちの一人でした。彼はこの世で莫大な遺産と地位を相続しました。そして神の憐れみによって、もっとすばらしい相続人、つまりイエス・キリストと共に相続する者とされたのです。

 ブリスバンの初等教育は、ローマ・カトリック教会のイングランド枢機卿によって行われました。そしてその後をウィリアム・T・ブランテリー牧師、さらにビューフォート大学の学長へとひきつがれていきました。15歳のとき、彼はコネチカットのミドルタウンにある陸軍学校に、19歳で名誉を手に卒業しました。卒業後まもなく、彼はキリストを信じ受け入れました。そして直ちに、福音を説教する使命を覚えます。彼の優れた教養および学識と、働きに対する献身は、彼を南部でのバプテスト伝道の最前線へと駆り立てました。

 ブリスバンは、公の仕事と一般的政治に事柄に精通するようになりました。彼の教養と富は、彼に、ジャクソン、カルホウン、クレイ、ウェブスターそしてベントンのような当時の有力な人々との接近を可能にしました。国を二つに分けた南北戦争の大動乱が終わって、国を再生すると言う重要な時代に生かされていたのです。ブリスバンは多くの時間を州と国の首都で過ごしました。かれは国をかき回している問題に非常に深く没頭しました。と言うのは、彼自身が大奴隷所有者であったからです。奴隷制度の問題は若いころの彼の脳裏に深く刻まれていました。彼はこの疑問に正直に祈り深く、何年ももがき苦しみました。やがて彼は、とうとうその基本方針に結論を下しました。ブリスバンは奴隷所有者として、当然憐れみをもって彼の間違った行為を修正したいと思ったのです。彼は自分の財産のいくらかを使ってオハイオのある土地を購入し、彼がすでに売った奴隷を買い戻し、オハイオへ行って彼らを新しい家に落ち着かせました。彼らを養い、彼らの当座の必要を有り余るほど与えました。そして、ブリスバンはシンシナティの居住者になりました。そこで彼は伝道活動を力強く再開しました。

 ブリスバンは後にウィスコンシンに引っ越しました。そこで25年間、福音を説教しました。晩年に彼はあらゆる良い働きの友、またチャンピオンとして広く知られました。ブリスバン博士は、本当に地の塩でした。謙遜に、また良心的に自分自身を真実と義のためにささげ、1878年4月5日まで生きて社会に大きな影響を与えました。(注1)

注1,William Cathcart, The Baptist Encyclopedia, ed. Louis H. Everts (Philadelphia: Louis H.Everts, 1881), 1:135


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