4月4日 カーレイ博士をインドに導いた愛すべき医者
みことば 第1コリント3:6,コロサイ4:14
ジョン・トーマス医師の名前は今日のバプテストの間ではほとんど知られていません。が、トーマス博士は近代宣教運動の門戸を開くために神によって用いられた人物だったのです。英国のバプテストの執事の家族の中で育てられたジョン・トーマスは、幼いころから福音に触れて育ちました。けれども、彼が医学の学びを終え、結婚するまで救われることはありませんでした。「みことばに熱心になり、彼は自分の救い主としてキリストを受け入れました。そして彼は言います。「罪の赦しと永遠の至福の確信は高く強くなった。」と。(注1)
トーマス医師は英国軍艦の外科医助手として任命され、数回にわたりインドへの航海を経験していました。英国東インド会社は商業組織としてスタートしましたが、後に英国政府の支局となりました。東インド会社は「宣教」の考えに対して強く反対していました。というのは、彼らはただ経済的利益のみを考えていたからです。しかし、会社に雇われていた人々の中に数名のクリスチャンがいました。そして彼らは1715年、自分たちの礼拝の場として、カルカッタに小さな建物を建てました。彼らは、自分たちの周りにいる異教徒たちの救いに興味を持っていたわけではありませんでした。ある航海のとき、トーマス医師は神のみことばを取り次ぎました。そして説教をするためにインドに留まるように頼まれたのです。自己負担によって障害を乗り越え、トーマス医師はその招きを受け入れることになりました。
しばらくして、トーマス博士は、バプテスト教理がインドに駐在していた聖公会クリスチャンたちによって受け入れられないことを理解しました。もしも彼が浸礼の教えを主張するなら経済的支援は切られると脅されました。1790年、トーマス博士は英国に戻ることを計画し始めました。ところが神は、彼の数名のご自身のしもべたちの心に働いてくださっていたのです。彼がまだインドで主に仕えている間に、靴職人の説教者であったウイリアム・カーレーが異教徒世界の大いなる必要に目を開き始めていたのです。カーレーが、実勢に人々の心を世界宣教に駆り立てたあの有名な説教をしたとき、トーマス一家は英国への帰路についていました。1792年、10月2日、「異教徒へ福音を宣教するためのパテイキュラー・バプテスト宣教協会」が誕生しました。しかし彼らはどの地域に入るべきだったのでしょうか。カーレーは、タヒチまたは西アフリカを考えていました。サムエル・パースはペレウ諸島を提案しました。しかし、それからトーマス博士が到着し、主は新しく誕生したこのグループの目をインドに向けさせてくださったのでした。
基金は起こされ、1793年3月20日、カーレーとトーマスが任命されました。カーレー夫人はその時出発することは出来ませんでしたが、カーレーはこれが神の導きであると信じました。そして1793年4月4日、カーレーとトーマスはカルカッタに向けて出発するために「アール オブ オックスフォード」号に乗船し。(注2) ところが、船長は、もしも宣教師を乗せるなら自分の船長としての地位が剥奪されると聞いて、二人はおろされてしまいました。トーマスは一生懸命努力して、オランダの船にどうにか乗船することが出来ました。そしてこの騒動は喜びへと変えられました。というのは、出発が遅れたことによって、カーレー夫人と子供たちもいっしょに旅をすることが出来るようになったからです。6月13日、彼らは出航しました。このようにして、神のご目的は果たされていったのでした。トーマス博士は多くの悲しみを経験し、1801年10月13日に天に召されました。このキリストのしもべに、何と大きな恩恵を受けていることでしょうか。カーレーをインドへと導いたのは、他でもない、このトーマス博士であったからです。
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注1 Arthur C.Chute, John Thomas, First Baptist Missionary to Bengal (Halifax, N.S,: Baptist Book and Tract Society, 1893), p.13
注2 Austen Kennedy de Blois, Fighters for Freedom (Philadelphia: Judson Press, 1929), p.264
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