バプテストの歴史 2004年3月31日

 

3月31日 つむじ風のようなロマンス
       みことば 創世記2:18−25

 キオーキー・バプテスト教会(ジョージア)で8年間、独身の牧師として仕えた後、エイブラハム・マーシャルは「人生の悲しみを分かち合い、喜びを2倍にするために」(注1)、神は妻を与えてくださると確信しました。 エイブラハムはニューイングランド(彼の生まれ故郷)までの2200マイル旅をしました。彼はその旅の途中どこかで、自分の働きの助けとなる生涯の伴侶に神が会わせてくださると信じていました。 彼は優れた馬と、またそのような冒険を神が導いてくださるように祈りました。1792年、彼はキオーキーを出発しました。そしてすぐに、神は最初の祈りに答えてくださいました。彼の旅について聞いた一人の紳士が、この説教者と馬を交換してくれました。この経験によって彼は確信を強め、旅を続けました。マーシャル牧師は、第二の祈りの答えを求めて旅を続けました。

 なぜ彼が、ヴァージニアのスポッシルヴァニアに住んでいた有名な分離主義バプテストの説教者ジョン・ワーラーの家に立ち寄ったのかについて彼の日記は何も述べていません。なぜか彼はそこの立ち寄ったのです。彼がアン・ワーラーに出会ったのはまさにそのホームにおいてでした。彼女こそ後に、彼の妻となる女性だったのです。彼らはお互いに非常に引きつけられました。彼は大胆にも自分の旅の目的を説明しました。そしてまたニューイングランドへの旅を続けました。彼は出来る限り速やかに戻りました。かくして、44歳の説教者と31歳の女性は息をのむような6日間のロマンスを経験したのでした。1792年3月31日、ニューイングランドから戻って3日め、彼はもう一度彼の結婚についての願望を述べました。1792年4月3日、勇気付けらたロマンテイック説教者は彼女にプロポーズし、彼らはその夕方7時に、友だちの前で結婚しました。

 6日間での求婚は短すぎる気もしますが、エイブラハム・マーシャルは、何をするにも出来る限り短い時間最大の効果を出そうとする強烈な人格の持ち主でした。アン・マーシャル夫人も同じような性格であることを証明したわけです。このようにしてそのカップルは、約550マイルの「馬に乗ってのハニムーン」に出かけたのでした。彼の日記の中で、マーシャルはその旅行を要約して、川や小川で泳ぎ、馬を放してやり、野宿をし、昼も夜も、ときおりすばらしい友人に会い、三ヶ月ぶりに、ビッグ・キオーキーでの友らとの涙の再会までそのような旅が続いた。」(注2)

 主人の忠実な働きとともに、マーシャル夫人はすばらしい祝福を経験しました。二人の間には4人の息子が与えられ、そして彼らの息子の一人、ヤベツが、キオーキーの教会の牧会を父親から引き継ぐことになるのです。彼は母親について次のように書いています。「彼女の全生涯の間、彼女はすばらしい敬虔な女性であった。・・・しばしば、彼女の夫が大いなる喜びの知らせを罪人に伝えるために旅に出ている間、彼女は子供や召使いたちを集めては真理の道を教えるのが常であった。・・・・しばしば彼女は彼らとともに歌った。そして子供たちを周りに集め、膝に乗せ、彼女が信頼してやまない神に祝福を求めて祈った。」

 アン・マーシャルは1815年の秋に、54歳で天に召されました。そしてエイブラハムも1819年夏に、72歳で、福音の働き50年間の後、主の御臨在のもと、彼女のいる天に帰りました。

注1 James Donovan Mosteller, A History of the Kiokee Baptist Church in Georgia (Ann Arbor: Edwards Brothers, 1952), p. 146 注2 Jabez P. Marshall, Memoirs of the Late Rev. Abraham Marchall (Mount Zion, Ga,: Published by the author, 1824), p. 71

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