3月30日 15年間ロシアの囚人として
みことば 詩篇57
「1980年4月27日ニューヨークで、ロシアは、政府に対する反対者あるいはそのように刑の宣告を受けた5人のロシア人と、アメリカでスパイとして判決を受けた二人のロシア人を交換しました。世界百科事典の1980年号を読んでください。470ページに、この出来事の記事があります。「ジョージP.ヴィンツ、50歳、4月に共産主義政体に抵抗した一人のバプテストの解放は重大な出来事であった。彼は共産主義に反抗したためにシベリアの監獄で15年間過ごした。ヴィンツのグループは分離「改革バプテスト」の集まりで、ロシアの主流バプテスト・グループよりもずっと宗教的な権利において好戦的でした。(注1) ジョージ・ヴィンツは、ソ連の多くの彼と同じような立場を取る人々ともに、信教の自由を維持することを切望していました。
ヴィンツは、政府によって支配されるような教会や牧師を持つことを拒絶しました。国家の支配に抵抗する彼の強い立場を取ったために、1966年の11月、逮捕され裁判を受けました。その結果、彼は3年間強制収容所に送られました。ヴィンツは釈放された後も、決して妥協しませんでした。そこで彼は、1970年に再び1年間強制労働に送られました。投獄から解放されてから、ヴィンツは絶えず監視なしには牧会できませんでした。彼は公の目から姿を消し、ひそかに働きを続け、許可なしに旅行しました。
ヴィンツ牧師が地下に潜っている間に、彼の母は逮捕され、審理され、3年間投獄されていました。1月27日の出版物に、やはりバプテストたちの牧師であったジョージP.ヴィンツの父、ピーター・I・ヴィンツのことが記されています。彼はシベリアの強制収容所で1943年に死にました。「1974年3月30日にG.P.ヴィンツ師は逮捕され、1975年1月27日に5日間続いた裁判で強制収容所に5年間送られました。5年間のシベリア追放の上、彼の土地はすべて没収されました。」(注2)
人は、いったいどうして、自らの確信のためにそんなに大きな代価を払わなければならなくても、信仰の自由という信念にそんなにも堅く立つ決心ができるのでしょうか。 「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」、と主が言われたとき、彼は永遠に教会と政治は分離すべきであると宣告されたのです。ローマの皇帝、コンスタンチィヌスの時代まで、その慣例は保たれました。コンスタンチィヌスの時から、ニュー・イングランドのロジャー・ウィリアムの日まで多くの聖書信仰者は地下で礼拝したか、あるいは国に支配されるように自分たちの確信の妥協をはかりました。今日、世界には4つの教会と国家の位置付けが実施されています。ひとつは、教会が国の上に位置付けられるもので、この説の場合は、教会のかしらは国家の指導者でもあります。もう一つの考え方は、教会は国家と平行線上にあるというものです。この説は、"国教会"によって実行されます。もうひとつは、全体主義政府によって実行される説です。このような政治の下にジョージ・ヴィンツは彼の確信のために必要な代価を払わなければなりませんでした。そして、アメリカでは教会は国家から分離していると言う原則を確立しているようです。
ジョージ・ヴィンツが解放されたことを、神に感謝しましょう。そして私たちは、全人類に信仰の自由をもたらす、このきわめて重要なバプテストの原則に立ち続けたい者です。
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注1 The 1980 World Book Year Book (Chicago: Doubleday and Co.., 1980) , pp.454,470
注2 Alexander de Chalandeau, The Christians in the USSR (Chicago: Harper and Row, 1978), p.22
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