3月27日 あざ笑われたバプテスマ
みことば 詩篇56:1−4
現代の多くのアメリカ人は、初期のバプテストが、共和国の形成期の日々においてすべての人々のための信仰の自由を確保するために支払った英雄的な苦難を知りません。次の世代に私たちの持っている自由を継続させる責任を持っているのだということを、自分たち自身に思い起こさせるべきでしょう。
バプテストの若い巡回説教者であったイザヤ・パーカーとサムエル・フレッチャーは、その地域のバプテストによってマサチューセッツのペッパーレルに説教をするために招かれました。1778年3月27日、野外伝道を試みたとき彼らに対して脅迫がかけられ、彼らは個人的に地域的な偏狭を目撃しました。そのようなプレッシャーに屈したくはなかったので春と夏の間に、この二人の若い説教者は数回ペッパーレルを訪れました。サムエル・フレッチャーの父親はその町に住んでいました。ですから、彼の訪問はおそらく伝道と同時に個人的なものでもあったでしょう。6月26日のペッパーレル訪問のとき、大きな混乱が巻き起こりました。6人の改心者がバプテスマを受けることを表明しました。そして主のご命令に従ってバプテスマの集会が開かれることになりました。イサーク・バッカスは、1778年9月9日の日付の彼の日記の中で、ワーレン協会によって論じられたペッパーレルのバプテストからの手紙について言及しています。
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彼らは川の側の畑で集まった。そこで祈りがささげられ説教が始まった。町の警察
署長がならず者たちとともに来て、彼らの礼拝は妨げられた。畑の所有者は彼らに
(町の乱暴者たち)、もしも静かに出来ないのならその畑から出て行くように警告した
しかし彼らは出て行くのを拒んだ。バプテスト説教者の一人は、もしも彼らがクリスチャ
ンらしく行動しないのなら、男らしく行動するように願った。そして彼らに一般的に許さ
れている信仰の自由を思い起こさせた。そして、力によってでも戦いに入りそうな様子
であった。そして、神からの権限書を開こうとした。すると、役人は言った。「ここで聖書
を開くな!」・・・一匹の犬が川の中に連れてこられ、水の中に突っ込まれた。それは明
らかに私たちをさげすむためであった。町からの一人の紳士がバプテストたちを招いて、
やはり川の近くにある自分の家で集会を開くように勧めた。彼らはその招きを受け入れ
た。そしてそこで礼拝をした。礼拝の終わりごろ、一人の雇われた男が酒の入った器を
持って川へ行った。そしてそれを川に2,3回浸した。また2,3匹の犬を水に浸した。
その後、町からの役人がバプテストの説教者のいる家に来て、安全のために早くそこ
から離れるように勧めた。・・・彼らの怒りをみて、バプテストたちは解散することにした。
そして、離れたところで集まることにした。嫌がらせはあったが、それでもそこで6人が
バプテスマを受けた。(注1)
彼の日記の他のところでバッカスは、ニューイングランドでバプテストの働きを妨げ、分裂を起こさせるために必死になった暴徒たちについて述べています。このような反撃は、私たちの先輩たちの決心を強めるだけでした。バプテストは、決して他の人々に対して、霊的なことがらに関して威圧しようとはしませんでした。なぜなら自由の精神こそが、真の聖書的クリスチャン信仰の特徴だからです。人は自ら「主を求め」なければならないことを知っていたので、バプテストは常に、他の人に対して完全な信仰の自由を認めようとしてきたのです。そしてまた、それを自分たちにも要求してきたのでした。
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注1 William G. McLoughlin, ed., The Diary of Isaac Backus
(Providence: Brown University Press. 1979), 2:1001
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