バプテストの歴史 2004年3月24日

 

3月24日 道ぞなえをしたロジャー・ウイリアムス
       みことば ヘブル6

 ロジャー・ウイリアムスは、他の数名のピューリタンとともにアメリカ原住民に対する真の霊的な関心を持っていました。彼はマッサソイツに行き、友だちを作り彼らの言語を学びました。そして彼らに福音を語ったのです。アメリカ原住民たちは、白人が自分たちを平等に扱うのを見て喜びました。ウイリアムはこの部族と友好条約を結びました。この条約が後に寄留地を作り上げるための道ぞなえとなりました。

 後に、ボストン当局がウイリアムを捕らえ英国行きの船に乗り込ませようと計画したとき、彼は当局から逃れて信仰の自由のために戦おうと決心しました。彼は厚地のコートに身を包み、ポケットに食べ物を詰め込み、彼の妻と幼子に口づけして別れを告げ、暗闇の中に消えていきました。

 激しい冬の嵐が吹きまくっていました。それが真夜中にはブリザードに変わりました。ウイリアムは降り積もる雪を踏みしめ、野を越え森を越えて突き進みました。彼の周りでは冷たい風が激しくうなり声をあげていました。次の日、彼はナラガンセット・インデイアンのキャンプに着きました。彼らは彼を友人として迎え、食べ物を与えて、その冷えた身体を暖めてくれました。そして、ここで隠れているべきだと主張しました。彼がここで冬を過ごす間、彼はそこの二人の首領の間に大きな問題となっていた問題のための仲介者として彼らを助けました。戦いは終結しました。そして、マサソイツの首領は感謝の気持ちをこめて彼に土地を与えました。またこの亡命生活の間に、ウイリアムは彼自身の独立した寄留地を作ることに決めました。それは、信仰の自由を求めるすべての人々のためにイラ枯れた寄留地でした。(注1)

 これは後に、ウイリアムばかりでなくジョン・クラークにも益をもたらすことになります。ジョン・クラークは、アメリカに渡ってきたピューリタンに対して幻滅を感じるようになりました。彼は19人の会社を作りました。そして、1637−38年の冬に、新しい地を求めて出かけました。彼らは最初、今日ニューハンプシャーとして知られている地域に行きました。けれどもその気候が大変厳しいことを知って、南下し、ロングアイランドとデラウエアに向かいました。彼らはその途中、プロヴィデンスで止まり、ロジャー・ウイリアムスのところに滞在しました。ロジャー・ウイリアムスは彼らにアクイドネット島に行くように勧めました。彼らは最初プレマスに行き、そこで、そうすることに問題がないことを確かめました。(注2) 土地を手に入れることが可能であることがわかったので、1638年3月24日、ロジャー・ウイリアムスは彼らの代理人としてナラガンセットの首領から、アクイドネット島の不動産譲渡証書の手続きを行いました。そして同じ日に彼自身のためにプロヴィデンスの不動産譲渡証書の手続きを行いました。(注3)

 まだマサチューセッツ植民地のある人々が好戦的な思いを持ち、しばしばインデイアンを襲撃していたときに、神の御霊はロジャー・ウイリアムスにお働きになり、信仰の自由が保障される場所、そこに住みたいと願う者のための場所、また、そこから全世界に向けての証として信仰の自由が宣言される場所を備えるための道が準備されていたのでした。

注1 O.K. and Marjorie Armstrong, Baptists Who shaped a nation (Nashville: Broadman Press, 1975), pp.39-43
注2 Robert C. Newman, Baptists and the American Tradition (Des Plaines, Ill: Regular Baptist Press, 1976) p.15
注3 Isaak Backus, Your Baptist Heritage, 1620-1804(1844:reprint ed.,Little Rock, Challenge Press, 1976), 40


Prev Home Next
3月23日 Up 3月25日


 
 
The Fundamental Top 500