バプテストの歴史 2004年3月23日

 

3月23日 廃止された教区委員会法


 ヴァージニア植民地において1661年3月23日に発布された教区委員会法はつぎのようなものでした。
「各小教区の中で有能な12人が各多数決によって教区委員会として選出される。また彼らと その牧師、すなわち教区委員会から2名の委員長が毎年選出される。そして教区委員会に欠員 が出た場合、牧師と残りの委員会はその欠員を補うために選出しなければならない。」  彼らに、 補の任務のためにその資格を与えるため、英国国王に対して宣誓がなされなければならない。 そして、「英国国教会の教理と法令に署名しなければならない。」 彼らの最も重要な任務のひと つに、「教区税金と献金を集めそれを牧師にしはらうことであった。(注1)

 1655年から1748年までに、市民が支払う税金による牧師のための聖職者領地の提供を伴うさまざまな法律が通過しました。聖職者領地は、非常に手の込んだ作りで、しかも少なくとも200エーカーはあるという広い領土の中には、納屋、馬小屋、牛乳加工所、薫製場、とうもろこし倉、そして塀で囲まれた庭がのでありました。すべての教区は、人がどのような宗派に属していようが関係なく、「10分の1献金が出来る人」によって支払われた税金によって、その聖職者領地を用意することになっていました。

 前に見たとおり、バプテストは、このような税金が取り立てられた植民地において、この制度に強く反対しました。

 独立宣言の後、国教会とこのような教区委員会法をヴァージニア州連邦の法律として受け継ぎたいと考える人々がいました。これらが廃止されるまでには長くて苦い苦難があったのでした。パトリック・ヘンリーのようなバプテストの友人であった人々たちでさえ、ある種の宗教的な制定が残されることを願ったのです。けれどもバプテストたちは自分たちが国家によって迫害を受けたことを覚え、真の信仰は政府によって支援される必要がないことを確信していたので、国教会を再び設立するようなことがないように求める請願書を託した委員を立法機関に送り続けました。ついに、この訴えに対する答えとして、1799年にヴァージニア立法府は、その前文において「信仰の問題を個人の良心に任せることによって、どのような種類の聖職者および教会政治を、廃止する」法律を発布しました。宗教に関することは、すべてそれぞれ個人の良心に関わる問題となりました。いかなる宗教的社会への政治的統合も、信仰の自由の原則を踏みにじることとなるのです。この日、ヴァージニア政府の宗教への介入はなくなったのです。

 この法律は、聖職者領地の売却にまでは至りませんでしたが、そのための準備をしました。その売却と処分に関しては大きな議論が起こりました。聖職者領地は一般市民のお金で買われたものであって、それは売却されて一般市民に還元されるべき者であるとして、バプテストは戦いました。最終的に、1802年1月12日に通過した法律によって彼らが勝利しました。最終的な釘が国教会の棺桶に打ち付けられました。かくして、長く苦しかった戦いに終止符が打たれたのです。そして、宗教てき統制のもとで苦しんだバプテストの立場が正しかったことが証明されました。私たちは、私たちの良心の命令として、真理を求め伝達する信仰の自由を買い取るために苦しむことをいとわなかった先輩の忍耐深さとその勇気に感謝しなければなりません。一つの戦いが勝利に終わったのをみて戦いは終わりだとは思わず、この偉大な伝統を保持することが出来ますように。

注1 Robert Boyte and C. Howell, The Early Baptists of Virginia (Philadelphia: American Baptist Publication Society, 1857), pp. 96-99


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