バプテストの歴史 2004年3月20日

 

3月20日 みことばに強い男
       みことば 使徒17:10−12

 私たちのバプテストの初期の歴史を調べるとき、登場する人物像の類似点は、彼らの正式な教育の欠如という点にあるように思われます。そのようなアカデミックな業績のほとんどない人々がいったいどのようにしてそんなに偉大な働きを成し遂げることができたのでしょうか。そのような適例は、ヴァージニアのサムエル・L・シュトラウハンの生涯です。シュトラウハンは1783年の7月に生まれ、父親の農業を手伝い、正式な学校へはほんの2,3年間ほど通ったに過ぎません。11歳のとき、好条件でに雇われました。ですから、彼はその人格形成期に学校で過ごすことはありませんでした。「彼の子供のころは、年齢にしては冷静で大人じみている様子がうかがえた。そして信仰のことがらに関して読んだり聞いたりすることを好んでいたので、彼の父親は彼のことをからかって『牧師さん』と呼ぶほどであった。」(注1)
 1802年に、シュトラウハンは数ヶ月間、自分の救いに関して葛藤のときを経験しました。彼が永遠のいのちの確信を持つようになったのは、その年の秋のことでした。1803年4月、彼はバプテスマを受け、その後しばらくすると、ときどき説教をするようになりました。彼の友人たちは彼が神の召しを受けていることを認めました。そして1806年3月20日彼は按手を受けました。そして同じ日、彼はウィコミコ・バプテスト教会からの全員一致の招聘を受けました。その教会はたぶん24人ほどの小さな群れでした。けれどもシュトラウハンはそぐに、ヴァージニアのバプテスト説教者たちの中で指導的な立場に立つようになりました。と言うのは、教会はすぐに300人を超すほどまでに成長したからです。次の年、彼はモラッティコ・バプテスト教会からも招きを受けました。そしてかれはこの招きに答え、その教会もまた、彼の働きのもとに大きな成長を遂げることになりました。リヴァイヴァルの精神が会衆のうちにとどまりました。そしてこのほとんど正式な訓練を受けたことのないこの牧師は二つの成長している教会の牧会をすることになったのです。1814年、リッチモンド宣教協会は、シュトラウハン牧師をメリーランドに福音を伝えるための伝道旅行をしてほしいと依頼してきました。主はこの新しい招きを通して彼にどのような計画を持っておられるのだろうかととまどいながら、彼は主のみこころを知るために、自分の牧会している二つの教会に一日の断食祈祷をするように願いました。教会は断食祈祷を行いました。そして、彼はこの二つの教会を牧会しながらこの伝道旅行の申し出を受け入れる決心をしました。彼のスケジュールをこなすのはほとんど不可能のように思えました。けれども彼はその自分に与えられた働き、すなわち二つの教会の牧会と伝道旅行という大役を、ことごとく成功のうちに成し遂げていったのでした。シュトラウハン牧師は肺炎に犯されていました。そしてその病気によって1821年6月9日、38歳の若さで世を去ります。けれども私たちの興味は、初期の時代には、いったいどのようにして正式の教育を受けるチャンスもなかった彼やそのほかの人々が、このように著名な指導者となり得たかと言うことです。
 私たちの目的は教育的な訓練の有用性の価値を否定しようと言うことではありません。言うまでもなく主はとぎすまされた道具を用いることをよしとしてくださいます。けれどもシュトラウハンの成功の秘訣は、神のみことばに対する貪欲なまでの愛にあったように思われます。彼は即興に語りました。そしてまた豊かで鳴り響くような声の持ち主でもありました。彼は、キリストの贖いのテーマに学んでいました。彼のメッセージはみことばで満たされていました。「彼は聖書の多くの部分を暗記していた。そして、それらの暗記したみことばを講壇において引用した。聴衆が、一つの説教の中でいくつの聖句が引用されるか、その数をかぞえるのが常であった。引用される聖句の数はしばしば百を数えることがあった。」(注2) シュトラウハン牧師は「みことばに強い」人でありました。そして、今日このような強調が今日の必要なのではないでしょうか。なぜなら、決して教育は神のみことばの光にとって代わることはできないからです。
 
注1 William B. Sprague, Annals of the American Pulpit (New York : Robert Carter and Bros., 1865) , 6:514
注2 Ibid., 6:516.


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