3月19日 彼らは灰の中から建て続けた
みことば エズラ 3
テモテ・ギルバート、S.H.シプレイ、トマス・ゴウルドそしてウイリアムS.ドンウェルが、トレモント劇場を1843年に55.000ドルで購入し、24.284ドルで完全に改装した動機はとても普通ではありませんでした。彼らはテレモント・ストリート・バプテスト教会の集会所を確保したいと願っていたのです。そして貧しい人々や仕事を求めて都会に出て来た、席料を払う手段のない人々のために"無料席"を提供するためでした。教会で席料を払うことは当時のマサチューセッツ州のボストンでは普通の慣例でした。
メイン会堂は90'X80'の2000人分の席があり、そのような貧しい人々に広い場所を供給しました。これは1852年3月31日に火事で全焼するまで、その働きの必要を満たしていました。この火災は大変な後退でしたが、無理強いされてその働きに打ち込んだのではありません。1853年に新しい建物の基礎を築きました。そしてその年のクリスマスに新しい席とオルガンが完全に備えられた新しい会堂で最初の公の集会が開かれました。所有者たちはその新しい建物を、福音バプテスト慈善協会と宣教師協会に譲渡しました。協会は、彼らが良いふさわしい牧師を援助しすべての席を無料のまま提供することを条件に、トレモンド・バプテスト教会にその建物を礼拝と神のみ言葉を教える場所として使用するために貸しました。
1879年8月14日の夜、この新しい建物がまた全焼しました。しかし、管理者たちは即座に手を打って建て直し、奉仕を続けました。テレモント・バプテスト・テンプルの目的は、福音説教を続け文書配布人とボストンとそのまわりの地域にいる宣教師に供給し、同様に貧困者たちの霊的な必要を特別な方法で満たすことでした。(注1)
福音と人のたましいの敵は決してこの教会とその働きを火によって試みることをあきらめませんでした。1893年3月19日、トレモント・テンプルはもう一度火災にあいました。集会場だけでなく価値のある蔵書まで失ってしまいました。それに伴って多くの肖像画とそのほかの意義のある高価なものとともに美術館も燃えてしまいました。保険は建て直して物質的な機能をもと通りにしましたが、そこにあった多くの美術品などは戻りませんでした。人々は、また再建の働きのために自らをささげました。(注2)
バプテストは常に熱心な人々でなくてはなりませんでした。彼らが福音の普及と言う目的のために進んでかかわっていくときに、神は常に状況を超えて御心を成してくださいます。大きな損失の灰から建て直し、もっと捧げる人々をもっと強い民へと建て直してくださいます。トレモント・バプテスト・テンプルが経験した破壊的な火事は、名もない人々を支援し、その原因を神にゆだね、また返済することに専念させました。
トレモント・テンプルを破壊した大きな炎は凄まじいものでしたが、この大教会の人々は地獄の炎に苦しむ人々を思ってさらに大きな重荷を持ちました。人は物質的な損失を修復することはできますが、たましいの損失は永遠の損失なのです。イエスは私たちに、ご自身の言われたことを思い起こさせてくださいます。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいのでしょう。」(マタイ16:26) 私たちは人々のたましいのために何を与えられるでしょう。
トレモント・バプテスト・テンプルは都市の中での働きのあるべき状態と何千人もの人々に福音を行き渡らせる初期の大きな手本でした。それは凄まじい困難に直面したときに耐え抜く人々の手本でもありました。神が今日、私たちの町の人々に及ぶために私たちに同じ忍耐と力をくださいますように。イエス・キリストこそが私たちの病める都市の真の解決なのです。
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注1 William Cathcart, The Baptist Encyclopedia, ed. Louis H. Everts (Philadelphia: Louis H. Everts, 1881), 2:1162-64
注2 Henry S. Burrage, A History of the Baptist in New England (Philadelphia: American Baptist Publication Society, 1894) p. 168
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