バプテストの歴史 2004年3月18日

 

3月18日 42年の間にわずか2度の帰国
       みことば ガラテヤ6:8−10

 名もない隠れた英雄が私たちのすばらしい主から栄誉を受けることが、キリストの裁きの座で明らかにされるのは何と大きな衝撃でしょうか! 確かにエドワード・ペイソン・スコットはそのような人でした。「聖書とヴァイオリンを持ってアッサムのナガスという首狩族の地域に入って行った。彼が近づいた最初の12人のナガスたちは、彼が演奏し『十字架の兵士よ』と歌ったときに、威嚇するような態度から喜ぶようすに変わりました。このように彼は音楽の好きなナガス族の地に入り込んでいきました。スコットは槍によってではなくコレラによってその年に死にました。(注1)
 しかし、もう一人の隠れた英雄が続けて前進するように主は備えていてくださったのです。エドワード・W.クラークは、1830年2月25日にニューヨークで生まれました。彼は幼いころに救いに導かれました。農家の少年にすぎなかったのですが、クリスチャンの集会を楽しみにしていました。1857年にブラウン大学を卒業してニューヨークのロチェスターの神学校に入学しました。彼はメアリー・ミードと結婚して、インデアナのロガンスポートで短期間牧師として働きました。それから彼はクリスチャン定期刊行物の編集者となり、印刷物の重要性とその可能性を知りました。1868年に、彼はインドの古代首都シブサゴルで伝道出版の製版を請け負いました。そして136日の大変な航海の後にクラーク夫妻はカルカッタに着きました。このシブサゴルで、クラーク博士はいまだかつて経験したことのないような異教の地の大きな必要についてのチャレンジを受けます。エドワード・ペイソン・スコット師はナガス地区に入ったのも、そして天に召されたのも、同じ1869年のことでした。今、クラークはアッサムの南の丘に向かってさらに広い地域について調べました。そこはまだ最悪の残忍な行為が残っていました。彼は硬く決心をして行き、それらの丘を通り抜けるまで休むことなく進み続けました。クラーク博士夫妻の成し遂げたことは、偉大な開拓伝道者たちの中でも最も上位に並べられるに値する業績です。彼らがモルングに落ち着く前のことです。彼らはアオーナガスと言う首狩族に取り囲まれました。クラークたちは彼らにとっては初めての白人でした。帰国することなしに17年間、彼らは留まり、託された人々の中で苦労しました。福音を紹介する責任だけでなくクラーク博士は時間を見つけては多くの執筆もしました。「彼は現地の言葉を文字に表しました。福音書のいくつかを翻訳しました。そして学校で使うために多くの本を印刷しました。彼は最後の7年間、たゆまずに働き続けました。1911年、彼はアメリカの家に帰りました。42年間のインドでの働きのうちのわずか2度の帰国でした。」(注2) 
 エドワードW.クラーク師は神学の博士号の栄誉を3度授けられました。しかし彼は、もっとも大いなる栄誉は主イエス・キリストの僕であることだと考えていました。彼は活発で、知的で、しかも単純かつ控えめで、神と神のみことばに対する大いなる信仰こそが彼の特徴でした。エドワード・W.クラーク博士は「1913年3月18日にフロリダのセント・オーガスチンで召されました。83歳でした。」(注3) 間違いなく、クラーク夫妻の話は私たちが裁きの座に集まるときに再び写し出され、私たちの救い主が多くの隠れた英雄たちに言われるすばらしいお言葉を聞くことでしょう。「よくやった。善かつ忠なる僕。」

注1 Davis Collier Woolley, ed., Baptist Advance (Nashville: Broadman Press, 1964), pp. 77-78
注2 Indiana Baptist Annual (Indiana Baptist Convention, Printed by order of the Convention, Proccdings of the Eighty-first Anniversary, Oct. 14-17. 1913), p.86
注3 Ibid., p.85 


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