バプテストの歴史 2004年3月16日

 

3月16日 初めて日本を見た白人女性
       みことば 詩篇46

 教会のメンバーのだれひとり、自分たちの教会のメンバーが増加するなどとは考えてもいませんでした。と言うのは、ミシガン州のナポレオンにあるこの第1バプテスト教会は小さく控えめな白い建物で集まっていた目立たない教会だったからです。1834年教会が組織されたとき、その会員のほとんどは東洋からの移住民でした。ルーシー・アン・セントジョンはナポレオン教会の執事の娘でした。1853年、彼女はマイルズ・J・ノールトン牧師と結婚しました。そして二人は12月10日、中国のニンポへと船出したのでした。

 マデイソン大学を卒業して、ノールトンはビルマでの働きのために任命されることを望んでいたのですが、ミッショナリー・ユニオン・ボードは中国で宣教師の必要に迫られていました。船渠うちは彼にとっては魅力的ではありませんでしたが、ノールトンはその要望に応えました。そして、彼らは9ヶ月にわたる旅路についたのでした。彼らはニューヨークからホーン岬を回って、彼らの目的地に着く前に日本に立ち寄りました。ルーシー・アン・ノールトン夫人こそが、「日のいずる国を目の当たりにした最初の白人女性だったのです。」(注1) まさかミシガンのいなか出身の一人の女性が、そのような機会に恵まれるとは! でも神のしもべはいつもそのような祝福を受けるものなのです。

 ノールトン夫妻が中国に着いたのは内乱の激しいころでした。そしてそれは何年間も衰えることはありませんでした。ノールトン牧師はひたすら伝道に励み、かれのそこでの21年間の働きは大きな成功を遂げました。ニンポの地域では、1861年に内乱がおさまりました。ルーシー夫人はあまりにも大きな衝撃を受け、健康の回復のために、いったんアメリカに戻りました。2年の後、彼女はもう一度中国に戻り、ノールトン夫妻は霊的な収穫の喜びを経験することができました。15年間に及ぶ過酷な宣教活動による体力の消耗から、ルーシーの健康は再び害されてしまいました。ノールトン夫妻は2年間の休暇をとって帰国しました。ノールトンにとってこのときが最初で最後のアメリカへの帰還となりました。この2年間、彼はいくつかの大学やセミナリーで講義をし、神学博士号を受けました。

 ノールトン博士はヴァーモント出身でしたので、彼の休暇の間ヴァアーモント州内で、また生まれ故郷の町で伝道者として説教を続けました。そして彼の若い時代に過ごした教会の交わりの中にバプテスマを受けて加えられる改心者を得る喜びを経験したのでした。

 1872年ノールトン夫妻は再び、中国のニンポーに向けて船出しました。その時はサンフランシスコから出航し4週間で宣教地に到着しました。けれども2年間の働きの後、ノールトン博士は、突然召されます。彼を診断した医師は言っています。「彼は健康な二人の人間の働きに相当する仕事をこなした。そうすることによって、彼は自分の持っていた力のすべてを急激に使い果たしてしまった。」(注2) ノールトン博士は49歳の若さで世を去ったのでした。夫が召されるとまもなく、ノールトン夫人はアメリカに戻りました。そしてその後彼女が召されるまで20年以上を、中国へのチャレンジについて話すために、しばしば女性グループから招かれました。ルーシー・A。ノールトンは1907年、シカゴの彼らの子供の家で召されました。ノールトン夫妻の働きは開拓宣教師活動に位置づけられ高く評価されています。

注1 M.E.D. Trowbridge, History of Baptists in Michigan (n.p.: Michigan Baptist State Convention, 1909), p. 190.
注2 G. Winfred Hervey, The Story of Baptist Missions in Foreign Lands (St. Louis: C.R.Barnes Publishing Co.., 1892), p. 528


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