3月15日 キリストに従うためにすべてを捨てた男
みことば マタイ19:29
その若者は独身のままでいるつもりはなかった。大学生時代に、彼はひとりの美しい女性と出会い、互いの愛情を深めていました。しかし、自分が海を越えて主に仕える計画があることを打ち明けたとき、二人は別々の道を歩むことになりました。そしてこの若者はすべてを捨てて、それがどこであろうと主の導きに従う決心をしたのでした。その若者こそが、ルーサー・ライスでした。彼は1783年3月に生まれアカデミーの生徒であったときに改心し、ウイリアム大学で学んだあと、アンドーヴァー・セミナリーに入りました。そして若いライスは、1812年に牧師に任命されました。その後、ゴードン・ホール、アドニラム・ジャドソン、サムエル・ニューウエル、サムエル・ノットとともに、インドでの働きのために、アメリカ海外宣教委員会(組合派)に請願書を提出しました。そのうちの二人は独身でした。
ジャドソン一家とニューウエル一家は「キャラヴァン」号で船出し、ライスとホール、そしてノット一家は1812年、インドに向けて出発するため、「ハーモニー」号の乗客となっていました。ジャドソンのバプテスト教理への改心の話はしばしば語られます。けれども、ライスもまた、渡航中に浸礼の問題に直面しました。そして彼が浸礼を取り入れるための土台が作られたのでした。英国のバプテスト宣教師、ウイリアム・ジョーンズもまたその船の乗客だったのです。そして彼とライスはこの問題について議論を交わしました。インドに着いて4ヶ月後、ライスは、「11月4日、カルカッタでバプテスマを受けました。」(注1)
アドニラムとアン・ジャドソンは、彼らの行く道を決めるためにルーサー・ライスと会いました。「三人組は、委員会が彼らのバプテストの教理への変更について直接に聞く必要があるだろうと思いました。・・・また同時に重要なことは、アメリカのバプテスト諸教会が遠隔地の宣教について詳しく知らされ、彼らの支援がもっと直接的なされる必要があると考えました。」(注2) そして結論としてライスがアメリカに戻ることになりました。その後、この二人の神のしもべは手紙でのやり取りをしましたが、この地上でこの二人が再び会うことはなかったのです。「1813年、ライスは彼の敬愛する動労者に別れを告げるとき、彼は海外宣教に対する約束をしました。「私は新たに私自身を主におささ下げします。私自身を宣教のはたらきのために献身します。私を主のものとして、特に宣教師の働きのために献身した者として受け入れてくださるように神に求めます。」(注3)
ライスはアメリカに戻りました。彼の犠牲の生涯を誇張し過ぎることはありません。ほとんど無尽蔵であると思われるエネルギーを費やして、彼は自分の生涯をバプテスト宣教のための支援を集めるためにささげられました。ライスは、バプテスト間の宣教協力を心に描き、そのために働きました。そして、1814年5月、「ジェネラル・ミッションズ」が組織されたとき、ライスは、コンヴェンションの代表者に選ばれました。彼は海外宣教師としてビルマに戻ることを願ってきました。けれど、今や彼は宣教活動の支援を集めるために国内を旅して回ることにチャレンジを受けていました。馬に乗ってライスは一年間に何百マイルも、宣教をしながら、また宣教活動を示しながら旅を続けました。彼は自分の家がありませんでした。持ち運ぶ衣装もありませんでした。銀行預金もありませんでした。そして1836年9月29日、彼が天に召されたとき、彼は自分のすべての財産――年老いた馬とがたがたの二輪馬車――をワシントンD.Cにあるコロンビア大学に残しました。その大学こそ彼が建てあげたものだったのです。今日、私たちが宣教について考えるとき、私たちは立ち止まって、真のバプテスト開拓者であったルーサー・ライスのために神に感謝しようではありませんか。
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注1 G.Winfred Hervey, The Story of Baptist Missions In Foreign Lands (St. Louis: C.R.Barners Publishing Co.., 1892), p.174
注2 William H. Brackney, Dispensations of Providence (Rochester, N.Y.:American Baptist Historical Society, 1984), p.43
注3 Ibid., p-44
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