バプテストの歴史 2004年3月13日

 

3月13日 改心して教会堂になった裁判所
       みことば イザヤ61

 1774年の今日は、いくつかの理由でとても意味深い日です。ヴァージニア州のタッパハンノックから7マイルほど南西に離れたところにあったピスケイト・バプテスト教会が組織され、その同じ日に、その集会に出席していたすべてのバプテスト牧師に対して逮捕状が発布されたのです。
 ジョン・ワーラー、ジョン・シャックリフォード、ロバート・ウエイア、イヴィソン・ルイスは治安判事の前に連れ出されました。イヴィソン・ルイスは、彼が郡内で説教をしたという事実が立証されなかったので釈放されましたが、他の牧師たちは監獄へ送られました。けれども彼らは、投獄されている間、1週間に2回ずつ説教をし、彼らのところに訪れる人々に聖書からの序言を与え、みことばを読み、ほとんど絶え間なく祈り続けたのでした。この間、彼らは普通このような経験に直面する時にある暖かい励ましや慰めを感じることはありませんでした。たましいの敵によってその心がわずらわせられながら、さまざまな燃え盛るような苦しみを通り抜けなければならなかったことを、ジョン・ワーラーは日記の中で述べています。
 主の1774年3月21日のヴァージニア州エセックス法廷の記録には次のように記されています。
アナバプテストの説教者であるジョン・ワーラー、ロバート・ウエイア、ジョン= シャックリ―フォードは、法に違反して聖書の説教また解説したかどで、代議士アー チバルド=リッチーの手による逮捕状によって、当法廷に出頭させられた。事実を確 認し、おのおのが20ポンドに相当する担保物を二つの家財とともに、そして12ヶ 月の間、彼らのそれぞれの行為に10ポンドに相当する担保物を提出するように命じ られた。そして、また、もし彼らが担保物件を提出しない場合は、直ちにこの国の刑 務所に前述の期間拘束されることも命じられた。(注2)
 ロバート=ウエイァとジョン=シャックルフォードは担保を出し釈放されました。ロバート=ワーにとって、これは2度目の投獄でした。彼はジョン=ワーラーとともにミドルセクス郡のアーバナで46日間投獄されていたことがありました。ション=シャックルフォードは、私たちの知る限りでは、このときが最初で最後の投獄でした。
 ワーラーはそのような担保を提出することの妥当性についていつも疑っていました。そして、そのような命令に従うよりは監獄に戻ることを選びました。彼は兄弟たちから見捨てられ敵たちから嘲笑されているかのように感じました。彼は飲んだくれや神を恐れない乱暴者といっしょに閉じこめられました。14日間、その監獄にとどまったあと、担保の承諾書を提出して家に戻りました。
 彼らが法律を破った者たちとして逮捕されたころ、古いレンガの裁判所はまだ、タパハンノックの国道17号線沿いに建っていました。いまではそこはバプテスト教会です。バプテスト牧師たちがイエス・キリストの福音を説教したために有罪宣告が言い渡す声が鳴り響いたその建物で、今は福音の宣教の声とその創始者であるイエス・キリストをほめたたえる声がわき起こっているのです。センテニアル・バプテスト教会が組織されると同時に、そのメンバーはあの古い裁判所の建物を買い取り、それを礼拝の家として使ったのです。1908年フランク・B・ビールがその教会で28年間忠実に仕え終えた後、彼らはその教会の名前をビール記念バプテスト教会と変えました。
 この建物は、私たちの先輩が福音の種を蒔き、各地域に多くの教会を建てあげていくために支払った偉大な犠牲を私たちに思い起こさせるための数少ない建物のひとつです。初期のころの多くの建物は木造であったため朽ちてしまっており、またある建物は独立戦争のときに焼けてしまっています。私たちの先輩はまた、信仰の自由と精神の自由のために堅く立ちました。私たちもまた、これらの地境(ランドマーク)を守るために努力を払い、私たちの先輩が投獄されてもなお守り通した大切な原則を次の世代に伝えていくことができますように!

注1 Lewis Peyton Little, Imprisoned Preachers and Religious Liberty in Virginia (Lynchburg, Va.: J.P.Bell. Co., 1938), pp.399-407
注2 Ibid.


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