バプテストの歴史 2004年3月12日

 

3月12日 聖い生活、雄弁な説教、国を愛する精神
       みことば 使徒18:18−28

 サムエル・スチルマンは、フィラデルフィアで、1737年2月27日に生まれました。11歳のとき、彼の両親とともにサウスカロライナに移りました。オリバー・ハート牧師の説教を通してイエス・キリストを信じました。スチルマンはハート牧師によってバプテスマを授けられ、またハートの指導のもとに神学を学びました。後にハート牧師は、サウスカロライナのチャールストンにバプテスト教育協会を設立しました。サムエルが21歳になったとき、彼はチャールストンの近くのジェームス島で説教を始めました。  健康を害したため、彼はニュージャージーに移り住みました。そこで、彼がボストンにある第2バプテスト教会から副牧師の招聘を受けるまで2年間を過ごすことになります。彼はほんの一年の間、この教会に仕え、それから1765年1月9日、その町の第1バプテスト教会の牧師となりました。そして1807年3月12日に天に召されるまで42年間をその教会で働いたのでした。
 わずかの例外を除いて、バプテストは独立戦争のために堅く立ちました。もちろん、サムエル=スチルマンもその例外ではなかったのです。アーミテイジは次のように述べています。
サムエル=スチルマンは気高い男であり、きよい愛国者でもあった。彼は真の眼 をもってときのしるしを読みとり、可能な限り独立戦争の嵐に立ち向かった。彼は 病弱ではあったが、真剣で恐れを知らなかった。彼はマサチューセッツのバプテス トたち、ことにアシフィールドのバプテストたちに加えられた暴行によって深く動 かされた。彼は州裁判所に救済を求めて、彼自身がその制作した嘆願書に署名した。 (注1)
 この嘆願書は、州立教会を支援するための一般的な税を支払わなければなりませんでした。
 1766年、独立宣言の10年前、スティルマンは講壇から公然と、印紙条例(アメリカの植民地に課した印紙税の法律)を非難しました。1770年の総選挙のとき、彼は植民地政策を支持し、1775年に英国軍がボストンを占領するまで、彼は自分の地位を退きませんでした。1776年に彼が戻ってくるまでの短い間、その教会は散らされました。彼は自分の群れを再び集めて、戦争の間中、ほかの教会が全部閉鎖していた間も教会を開き続けました。スティルマンは雄弁な説教者でした。人々は彼の説教を聞くために遠方から歩いてきました。街道はいつもいっぱいで、立ち席しかなかったほどです。ボストンのエリートたちが出席したときでさえ、彼は聖書からそれることなく福音の原理を語りました。常時、ジョン・アダムス、ジョン・ハンコック、ノックス軍司令官や、その他の高位な人々が、堕落、主権、裁き、贖いについて彼の説教を聴く群れの中に混じっていました。ある出来事で罪を公然と非難したことが痛烈で激しいものであったため、ある上品な紳士が言いました。「博士は私たちを全力をあげてならず者だと決め付ける。しかし彼は上品に雄弁にそうするので、私は彼に誤りを見つけることができない。」(注2) 彼がボストンで過ごした42年間は、独立戦争へと発展した大いなる論争、また戦争、そして国家の誕生、連邦憲法ワシントン、アダムス、ジェファソンが大統領であった時期を含んでいました。彼の働きは多くの人々を私たちの主に導きました。リバイバルの兆しは、たしかに彼の努力への報いでした。彼は常に、「私は救われるために何をするべきか?」という質問に答える機会を狙っていました。サムエル・スティルマンは重要な時代に生きていました。彼は神のみ言葉の真理に立つ勇気を持っていました。彼は政治に関する大論争に巻き込まれることになりました。彼はその働きにおいて、なお忠実に群れを養いイエス・キリストのために尊いたましいを勝ち取り、そしてバランスを保っていたのでした。

注1 Thomas Armitage, The History of the Baptists (1890, reprint ed., Watertown, Wis.: Maranatha Baptist Press, 1976), 2:781-82
注2 Ibid., p.782


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