バプテストの歴史 2004年3月11日

 

3月11日 神聖な講壇か法律の講壇か
       みことば ガラテヤ2:11−21

 多くの神の僕たちは、若いうちに厳しい試練や苦しみを通るように召されています。ジョセフ・クランダルの経験もそのようなものでした。彼の母親は、彼が13歳のときに亡くなりました。何年もしないうちに父とも死に別れます。彼の母は敬虔な女性で、この世を去ろうとするときに息子をベッドのそばに呼び寄せて、その手を取りながら言いました。「ジョセフ、私が行ってしまったあと、主はあなたのために大いなる働きを計画しておられるのです。」(注1) 母親の臨終の時の、この愛のこもった言葉は彼に強い印象を残したのでした。
 彼の両親が宗教改革の前の年に移り住んだノバスコチアにおいて、彼は大きな働きをしました。神の摂理のうちに、神は彼の必要を豊かに満たしてくださいました。ハリス・ハーヂングとジョセフ・ディモクの働きのもとで、クランダルは自分自身が言いようもなく惨めだと思いこんでいました。彼は言いました。「私には、恵みは神の裁きとつながっているということがわかりました。それらは両方でひとつなのです。神がキリストにおいてなされたことはだけで、イエス・キリストを通して恵みのゆえに神様のもとに来る人々を救うために十分でした。そして、私は、すべての被造物は私が感じまた理解したことを知っているはずであるかのように感じました。と言うのは、確かにそれは私にとって、全世界よりも大切なことに思えるからです。」(注2)
 彼が救い主の愛を知ってすぐに、福音を説教することについて強い使命感を覚えました。けれども、そのための教育もなく、また教育を受けるすべもないのに、どうしてそのような大冒険に乗り出せるでしょうか。二人の牧師、デモックとハーデングは、彼が説教のために特別な召しを受けていると認めていたので、彼に贈り物として訓練の機会を提供しました。彼の働きのつつましい始まりは神の力の現われによって成し遂げられ、マリタイム地区の隅々まで伝道し続けました。そこでは多くの人々がみことばを受け入れてバプテスマを受けました。
 生涯の半ば頃に、彼はニューブランスイックの州議会の議席を受け入れるように説得されました。当時地方の自治は多くの人々を治めるために「既得の権利」という考えを信じる「えり抜きの少数」の人々に全面的に任されていました。当時の教会や州の観念に異議を唱えることは、国の法律に対する反逆で、何らかの裁きを受けなければなりませんでした。クランダルは大胆に断固として平等の権利を支持するためにたちました。彼はフレデリクトンでたびたび説教しました。1818年3月11日に、ニューブランスウィックの議会は福音の説教者であると公言する者は議席を持つべきではないと言う州の法令を通しました。(注3)政治活動を求めるか、神の召しを求めるべきかが問われたのです。もし日曜日にフレデリクトンの講壇に立とうとするなら、州議会には議席を持つことはできないということを理解しました。そして、主の日に、彼は神聖な講壇に立ちました。彼は議員の議席を捨てることを選んだのです。その地方での彼の影響は小さくはなく、むしろ増大しました。彼はこの世の富や名声よりもすばらしく価値あるキリストにある恥を選んだのでした。
 神が天に属するものを愛する心を私たちにも与えてくださいますように。

注1  I.E.Bill, Fifty Years with the Baptist Ministers and Churches of the Maritime Provinces of Canada (Saint John, N.B.,:Barnes and Co.,1880), p.205
注2 Ibid.
注3 Ibid. p.212.


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