バプテストの歴史 2004年3月10日

 

3月10日 親しい友人から迫害者に
       みことば ガラテヤ2:11−21

 バルサザー・ハブマーは1480年にバーバリアのフレッジ・バーグで生まれました。彼は哲学と神学をマルチン・ルターの大反対者であったエックから学んだにもかかわらず、1522年にはルターの考えを支持していました。(注1) 彼はツイングリーと常に連絡をとり、1523年でのカトリックとの討論会でも彼を支持していました。それ以来彼らはとても親しく熱烈な友人になりました。
 聖書学者であり、また力強い説教者でもあったハブマーは、やがてチューリッヒの宗教改革がほんとうに使徒たちの模範にまで戻らなかったことを悟ります。次第に、そして慎重に彼はアナバプテストを支持するようになりました。それはツイングリーとの友情に亀裂を招くもとともなりました。彼はアナバプテスト教会を設立し、初期の聴衆者のうちの300人以上にバプテスマを授けました。彼は野外で説教し、その聴衆者の多くはバプテストになりました。
 まもなく彼の説教者としての人気とその説教の影響は宗教改革者およびカトリックの注目を引くようになり、彼は逮捕され地下牢に投げ入れられました。彼は4ヶ月間旧友のツイングリーに、そして皇帝に、連合評議会に訴え続けました。しかし、すべてはむなしく終わりました。彼は健康を損ない、彼の妻も投獄され、彼は20人以上の人々と共に地下牢に置かれていました。そこには月の光も日の光も差しませんでした。パンと水だけが彼の食べ物でした。しかし終わりの頃は、それさえ何日も食べられない状態でした。なぜなら、彼の置かれていた場所は、吐き気を催す臭いが立ちこめていたからです。そこから逃れる唯一の手段は死ぬことか、でなければ改宗することでした。チューリッヒでの尋問においては、彼が改宗するように説得するためにあらゆる方法が用いられました。ツイングリと他の人々は牢獄を訪れ、彼を改宗させようと拷問を使い、体力を消耗させました。"彼らは、死の床から起きあがったばかりの病気の私に無理強いし、無理やりに追究した。追いかけられ、追放され、持ち物を全部失った私に、異なった信仰を教えるために・・・」多くの会衆の面前で、ツイングリは、アナバプテストという異端に対立する説教をしたあと、痛む心で弱り切ったハブマーは講壇に上がり、弱々しい震える声で彼の改宗声明文を読み始めました。彼はあちらこちらへと弱々しく揺れ動きました。ところが突然、神の力によって力づけられ、彼はあらん限り高く起きあがって、大聖堂いっぱいに叫び声を響かせました。「幼児洗礼は神によるものではない。人はキリストにある信仰のゆえにバプテスマを受けなければならない。」 群衆は動揺しました。ある人々は恐怖に襲われました。他の人々は、ハブマーが講壇から引き下ろされ、大群衆の中に放り出され、地下牢に押し戻されることに賛成し、大聖堂が鳴り響くまで叫び続けました。彼はもう一度、信仰の告白書を書きました。
 1528年3月10日彼は、キリスト・イエスとみことばのうちに見出した真実をしっかり心に確信して召されていきました。彼に、強くあるように、忠実であるようにと熱心に勧めた妻とともに薪の山積みになった処刑の場所に連れ出されたのです。彼の服は引き裂かれ、死刑執行人たちは彼の長いあごひげに硫黄と火薬をすり込みました。この処置の間、彼は熱心に人々のために勧めをし、神に祈り、赦しを願い、彼の主に彼の霊をゆだねました。薪は点火され、彼の髭と髪の毛に燃え移りました。彼は「おお、イエスよ、イエスよ、」と叫びました。硫黄と火薬の煙で息を詰まらせて、彼は息を引き取りました。(注2) 三日後、彼の妻も、ドナウ川におぼれさせるという刑を執行されて、彼と共に主の御許へ行きました。
 ここでも、教会の様相は、神の聖徒たちの血で赤く染められた衣でおおわれているのです。

注1, Thomas Armitage, The History of the Baptists (1890, reprint ed., Watertown, Wis. Maranatha Baptist Press., 1976), 1:336-39)
注2, William R. Estep. The Anabaptist Story (Nashoville: Broadman Press, 1963), p.63


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