バプテストの歴史 2004年3月8日

 

3月8日 奇跡的に開いた釘付けられたドア
       みことば 第1コリント16:1−9

 バプテストは、静かにまた注意深く自分たちの集会所をボストンに建設しました。けれども1679年2月15日、彼らがその集会所で集まり始めると、当局の注目を浴びるようになりました。そしてその4月には、彼らがその建物で集まり続ける場合、彼らからそれを取り上げることができる法律が作られました。この法律の脅威のもとでバプテストは、チャールズ二世がすべての非カトリック信者の信仰の自由を許すようになるまで集会のための建物に集まることを休止しました。チャールズ二世は以下のようなことばでその自由を許可しました。
我々は以後、信仰の自由およびその生き方の自由を認め、それを尊重することを 期待するものである。そして、英国国教徒として神に仕えたいと願う人々は、十分 に政治に参加できないような差別を受けることはない。組合教会のあり方に賛同し ない我々の善良なる(カトリック教徒ではない)国民もまた、罰金や没収あるいは 投獄されることはない。疑いもなく、信仰の自由こそが、あなた方がその地へ移住 した基本的な動機であったからである。(注1)
 王の法令についてロンドンの友人から情報を得て、バプテストたちは再び自分たちの集会所で集まることになりました。その教会の霊的な指導者たちは法廷に呼び出されました。彼らはそこで二度と集まることをしないという約束をしなかったので、1680年3月8日、法廷は役人を遣わし、建物の入り口を封鎖し、次のような張り紙を入り口に張り出しました。
「すべての者は次の点に注意されたし。法廷の命令によりこの家の入り口は封鎖された。当局の許可なくして、この建物で集会をする者、あるいは入り口を開けようとする者は自分の責任においてその違反に応じなければならない。」(注2)
 バプテストたちは、数週間、ある日曜日が来るまで、その集会を建物の外で開きました。そしてその日曜日の朝、彼らが建物に着いてみると、驚いたことにそのドアは開かれていたのです。人が開いたのか天使が開いたのかはわかりませんでしたがとにかく彼らはその建物に入り、集会を開きました。「法廷がこのようなことを合法的にしたわけではない。そして私たちは保安官の命令書とマーシャルの逮捕状の写しを拒否されたのである。私たちは建物の中にはいることにした。なぜなら、これはもともと私たちのものであり、そうする権利があるのだから。」(注3)
 インクリース=マザー博士はバプテストに反対するパンフレットを書きました。そしてジョン=ラッセルは、マザーがバプテストの性質について述べたことがらに関する答えを書きました。それは、英国の有名なバプテスト牧師の初めのことばが入れられたかたちでロンドンで印刷されました。それには次のように書かれていました。
ニューイングランドの組合教会の兄弟たちは非常に奇妙に思える。彼らは宗教的 主張のために彼らの仲間のしもべたちを打つことを喜ぶ者たちのむちの下にいるよ りも自由の地を求めて、自分たちの母国を離れ荒野へ行くことを選んだのである。 そうであるなら、彼らはほかの人々に対して、彼ら自身が避けようとつとめた同じ 危険や苦難をほかの人々に負わせるべきではない。特に神を礼拝することに関して、 自分たちと同じ基準を告白しまた求めている彼らの兄弟たちに対して行っているの だと言うことを考えるべきである。(注4)

注1 Isaac Backus, Your Baptist Heritage, 1620-1804 (1844; reprint ed., Little Rock Challenge Press, 1976), pp.90-91 注2 Thomas Armitage, The History of the Baptists (1890; reprint ed., Watertown, Wis.,:Maranatha Baptist Press. 1976). 2:703. 注3 Ibid. 注4 Backus. p.91

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