バプテストの歴史 2004年3月6日

 

3月6日 堅く立った主のしもべ
       みことば 第1テモテ3:1−7

 カレブ・ブロッド牧師は、1754年8月18日、マサチューセッツ州のチャールトンで生まれました。彼の青年時代についてはほとんど知られていませんが、20歳の頃ダンスに興じていて、罪の自覚に打ちのめされ悔い改めたということです。その後一年半の間に、神のみことばのうちに成長し、彼はチャールトンのバプテスト教会によって説教をすることを許されます。そして1776年には巡回者として説教を始めました。
 1777年の後期、按手礼委員会が招集され、カレブ・ブラッドはニューハンプシャーのマーロウで按手を受けます。そして、4年間そこで新しく組織されたバプテスト教会の牧師として仕えました。1781年、彼はマサチューセッツのニュートンでの牧会の招聘を受けます。7年間、彼はワーレン協会で活躍し、ユニバーサリズムの教理と戦って成果を上げました。けれども、彼が受ける牧師給では彼の家族を養うことができず、1788年にヴァーモントのシャフツブリーにある第4バプテスト教会からの招聘を受諾しました。そしてそこで、彼はすばらしい祝福のうちに20年間働きを続けました。1798年から99年の冬に大いなるリヴァイヴァルが起こりました。そしてその期間に約175人が教会に加えられました。ブロッド牧師は宣教の拡大のためにニューヨークの北西部やカナダにまで旅行しました。
 彼の説教は力あるリヴァイヴァルのために用いられた。けれども、彼は常に単な る感情的高まりだけの行為を思いとどまらせた。と言うのは、彼は、ほんとうの聖 霊のお働きと単なる人間的興奮との違いを知っていたからである。彼の初期の働き において、興奮と情熱的な雰囲気の中で行われたある集会に出席したが、「その熱 心は知識に基づくものではありません」(ローマ10:2)ということがわかった ので、一人の女性が彼に近づいて手を差し出し、「あなたは今までに、このような すばらしい集会に出席されたことがありましたか。」と尋ねたとき、すぐに「いい え。」と答え、「そして、私は二度とこのような集会に出席したくはありません。」 と言い切ったという逸話が残されている。(注1)

 1791年にヴァーモント大学が創立されて以来、ボストンの第3バプテスト教 会での牧会のためにヴァーモントを去るまで、ブラッドは管財人としてその大学で 仕えた。ブラッド牧師が顔面に激痛を覚えたとき、悲劇が彼をおそった。彼自身は それを大きな問題だとは思わなかったが。・・・(けれども)しばしば激痛に苦し んだ。あるとき、風邪がもとで高熱に襲われた。そして・・・それがほとんど命取 りとなるところであった。(注2)
 ブロッドは霊的に失望し、牧師を辞任しました。けれどもまたすぐにメイン州のポートランドにある第1バプテスト教会からの招聘を受諾します。そしてそこで彼は残りの人生を主に捧げることになるのです。彼は非常に激しい肉体的な痛みの中で、みことばを語り続けました。その時期の彼の勧めは実に真剣なものでした。彼の最後の病気は1814年2月19日から天に召される3月6日まで続きました。彼は完全な平安のうちにひとつの願いを表現しました。それは、説教者たちが忠実にみことばを語り、たましいが救われ、主が栄光をお受けになるようにと言うことでした。
 カレブ=ブロッド牧師は、「マサチューセッツとヴァーモントにおける指導的なバプテスト説教者」と呼ばれています。(注3) カレは、バプテストと幼児洗礼主義者たちとの違いに関するいくつかのトラクトと、結婚に関して若者たちのためにパンフレットを書きました。彼が働いた時代、バプテストは、自分たちがフリーメイソンのようなセクトと結びつけられている問題と戦わなければなりませんでした。ブロッドは、フリーメイソンやその他のセクトにバプテストが関係することに反対の声を最初にあげた初期のバプテスト指導者たちの中のひとりでした。

注1,William Cathcart, The Baptist Encyclopedia, ed. Louis H. Everts ( Philadelphia: Louis H. Everts, 1881), 1:108
注2 William B. Sprague, Annuals of the American Pulpit (NY:Robert Carter and Bros.),6:194
注3 William G. Mcloughlin, ed., The Diary of Isaac Backus(Providence:Brown Univ. Press1979)2:103


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