3月5日 キリストに従うためにすべてをやめた男
みことば マタイ14:1−13
ライン川に面したケルンに、一人の印刷職人がいました。神を恐れるトーマス・ヴァン・インボルックは、1557年に福音の真理のゆえに逮捕されました。彼は塔の中に幽閉されていたとき、バプテスマと結婚に関する彼の意見を尋問されました。彼は自分の信じている教理に対する反論にみことばを持ってみごとに答えたので、彼らは尋問を中止し、別の塔へインボルックを移しました。(注1)
このように閉じこめられている間に、敬虔な女性であった彼の妻は彼に宛てて手紙を書き、神を敬う者として戦い、堅く真理に立つように勧めました。彼は彼女の励ましと勧めに対し心から感謝しました。そして多くのみことばから、正しい者が多くの苦しみを受けなければならないことを示しました。キリストに従うために、妻、子供、またそのほかのどのような地上のものを捨てなければならないとしても、神がその御名のために苦しむ価値がある者と認めてくださったことを喜び、彼の良心は神のみ前に何も責められるところはないのだと認めていました。
ふたりの司祭が、幼児洗礼について彼と討論しました。彼らの間でさえ、お互いに同意することはありませんでした。一人は幼児が洗礼なしで死んだ場合滅びに至ると主張し、もう一人は救われると主張しました。彼らは必死になって、彼を悔い改めるようにせき立て、どうして自分の子供に洗礼を授けさせなかったのかと尋ねました。彼は答えました。「みことばは幼児洗礼について何も教えてはいません。神のみことばによるなら、信者のみがバプテスマを受けるべきなのです。」 司祭たちは彼を異端であるとして拷問代に連れて行きました。死刑執行人はいつでもその任務を果たすための準備を整えてはいましたが、治安判事たちが彼らに賛成していなかったにで、そこで苦痛を与えることはしませんでした。しかし、厳しく問いつめました。このようなことが連続して三回も続きました。このことのあと、彼は伯爵(かなりの権威を持っている貴族)の家に連れて行かれました。その伯爵は彼を自由にしてやりたいと思っていました。彼が皇帝の宣言も主教の不機嫌さも恐れずにいたからです。トーマスは疑うことなくまったく平安のうちに自らのいのちをキリストの御名のゆえに喜んでささげる準備ができており、真理と神の愛に堅く立ち、火であろうが水であろうが剣であろうが、そのほかどのようなものも、彼の確信を奪うことはできないと確信していました。
伯爵の家に再び来られたとき、伯爵家の人々は、彼が考えを改めるように説得しようと努力しました。神の真理に反対する者たちにとっては、聖徒の考えを改めさせることは、神の聖徒たちが殉教の死を遂げるよりもはるかに意味のあることでした。ですから、すぐに彼を死刑にする代わりに、多くの時間と努力は、彼が主を否定するように説得するために費やされたのです。サディスト的な精神を持った人々は、敬虔さと純粋な信仰を持った人々に対して、サデイスト者たちは恐るべき拷問の器具を使おうと待ちかまえていました。ほんとうのクリスチャンは常に、悪魔的なこの世の不道徳的な力によって憎まれ、彼らの恐るべき暴力を受けるものなのです。
結局、トーマスは裁判の法廷に立たされ、伯爵の面前で死刑の宣告を受けます。そのとき、この伯爵は、主の1558年3月5日に、トーマス=ヴァン=インボルックを処刑することによって、クリスチャンの血で、自分の権力を赤く染めることになったのでした。
彼は忠実な忍耐に満ちたキリストの証人でした。そして、25歳という若さで、自分の血でその証を封印しました。牢屋から彼の妻や兄弟たちに、他のものとともに書き送った手紙には、彼の信仰の告白とバプテスマに関する彼の信仰が述べられていました。これらの手紙から、小さな書物が出版されたのでした。
-
注1 T.J.Van Braght, trans., and Edward Bean Underhill, ed., A Martyrology of the Churches of Christ Commonly Called Baptists (London: J. Haddon and Son. 1853), 2:138-40
|