3月3日 宣教師ヒーローの報告
みことば ローマ11:29
エリシャ・リッチフィールド・アボットは、1809年、ニューヨークのキャゼノヴィアで生まれました。ビルマのバッセイン住むカレン人たちの間での彼の働きは初期バプテストの働きの中でも特に際立ったものでした。訓練を受けた後、アボットは1836年に現地へ赴きました。そして1845年、彼の妻の死までそこに留まり続けました。その時体力の消耗が目に見えてひどくなり、子供たちを安全のために合衆国につれて帰りました。もし宣教地に戻るならば、アボットには助け手が必要なことは明白でした。そこで彼はアメリカにいる間にそのような人を捜しました。おそらく主はアボット師が彼自身の地上での生活の終わりがきたという現実を受け入れるように備えられたのでしょう。と言うのは、彼は1852年に宣教地から衰弱して戻り、1854年12月3日に世を去ったのでした。エリシャ・アボットは、カレン人の地域に、自分たちの牧師を自分たちで支援するという自給自足の50の教会を設立したことで賞賛されるべきです。
アボットが最初に合衆国へ帰国した時、一人の若者がニューヨークのハミルトンにあるハミルトン神学セミナリーで、学んでいました。この若者、ジョン・シドニー・ビーチャーは、わが国の西部で宣教師として生涯を捧げたいと願っていました。アボットは若いビーチャーと交わり親しくなるために学校を探し回りました。ベテラン宣教師はビーチャーに、返事をする前に土曜日まで良くそれについて考えて祈るように願いました。彼のクラスメートはこう書き記しています。"ビーチャー兄弟は大いに当惑して私の部屋にやってきた。"僕は決して東洋の宣教地に行くなど考えもしなかった。ミス、マーサ・フットに相談することなしには決められない。僕にはこのことに関して彼女の考えが想像できない。"と彼は言った。私は彼女に手紙を書くように勧めた。しかし彼女はシカゴにいて返事が来るまでに1週間以上かかる。"
非常に迷いながらビーチャーは部屋を去りました。しばらくすると彼は戻ってきてフィアンセからの受け取ったばかりの手紙を見せてくれた。「私は招かれるところどこへでも行くべきだと思います。もしあなたがいつでも東洋の宣教地に行くことがあなたの使命であると思うときがきたら、私はいつであってもあなたの道を妨げません。」(注1)神様はすばらしく答えてくださったのです。
その夜遅く、ビーチャーは出て行くことを承諾しました。1846年に彼は任命され、ミス、フットと結婚によって結ばれ、宣教地へ向かいました。アボットとビーチャーの努力の陰には主がともにおられました。しかし、ビーチャー夫人はアメリカへ戻る途中に突然死にました。彼女は1854年3月3日に海に葬られたのです。神の人は神の招きを信じました。彼の生涯には後悔はありませんでした。宣教機関を変えなければなりませんでしたが、それでも彼は恵みの働きを続けました。健康を損ねて、彼は1866年9月に療養のために英国への旅行をしいられました。しかし彼のたましいは1866年10月21日に、彼の主と共にいるために主の家に帰りました。彼の友人たちには彼が召されることがわかっていました。ビルマの学校のホールには、ビーチャーの記念の大理石の額が1878年に献呈されました。
「ビルマの最初のクリスチャン・スクールの現地の支援に基づく設立の基礎を築いた名誉をたたえて。」 現代の忠実な宣教師たちのために忘れずに祈りましょう!
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注1 G.Winfred Hervey, The Story of Baptist Missions in Foreign Lands (St. Louis; C.R.Barnes Publishing Co., 1892), pp. 430-32
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