2月29日 歌うべきか歌わざるべきか? それが問題であった。
みことば エペソ5:21
ベンジャミン=キーチは英国バッキンガムシャー、ストクハモンで、1640年2月29日に、貧しい家庭に生まれました。(注1)
幼い頃から聖書の研究に打ち込み、信者のみのバプテスマを固く信じるようになりました。15歳のとき、彼は信仰の告白とともにそのオーデイナンスに従いました。正規の教育は非常に限られたものでしたが神のみことばに非常に堪能な者となりました。そして18歳のときに、そのころ彼が交わりを持っていた信者の群れは、福音の働きのために彼が召されていることを悟るようになります。28歳のとき、彼はロンドンのホースレイダウンにあるバプテスト教会の牧師となりました。最初は迫害のために家々で集会を行っていましたが、迫害が遠のくと、彼らは会堂を建てました。この会堂は1000人近くまで収容できるようになるまで、何度となく増築されていきました。
彼は日常生活に関する問題に関してたくさんの論文や弁証を、彼の反幼児洗礼についての確信を含めて書き上げました。これらの出版物とかれの説教のために、彼は何度となく法廷に立たされることになります。そのいくつかは、この書で、後にお話しすることになると思います。
国教会役員の間に論争があったばかりではなく、バプテストの間にも教理と実践に関して意見の相違が見られました(もちろん非主要な問題についての意見の違いの自由は常にあるものであり、それこそがバプテストの特徴なのですが)。一つの論争は府中の礼拝において会衆讃美をするべきかどうかという問題でした。印刷機はこの問題に関するパンフレットや書物を世に送り出すためにうなり続けました。キーチ自身もこの問題に巻き込まれたひとりでした。そして、1691年、キーチはこの問題についての本を出版しました。彼は自分の教会にも会衆賛美を取り入れることを決心したのです。もちろんのこと、大きな反対がわき起こりました。バプテスト教会に会衆讃美を取り入れたのは、おそらく彼が初めてでした。彼は当初1673年ころに、主の晩餐時にのみ会衆讃美を用いはじめました。それから公の感謝祭集会に広げられ、14年間続きました。約20年後、議論に議論を重ねた結果、教会は毎週日曜日の礼拝で歌うことになりました。ただし、説教と祈りの後だけでした。何人かの反対者は、その場を離れ庭に立っていました。彼らは良心的にその場にいて歌を聴くことに耐えられなかったからです。追い出されたわけではありませんでしたが、歌わない人々は自分たちでその教会から分離し、賛美の問題以外はまったく同じようなもう一つの教会を設立したのでした。反対者たちが去ったとき、キーチとその教会員たちは、「教会を歌で満たす」ことを決心し、「歌うことに賛成した」(注2)のでした。賛美に反対して出て行った人々の教会は1793年まで賛美なしで続きました。
迫害のために隠れての礼拝は1680年ころまで歌うことを避ける必要があったのです。問題点は、神を礼拝するひとつの要素としての賛美に、救われた者と救われていない者とが混じり合っている会衆が加わることができるのかと言う点にありました。神が歌う能力を与えてくださった者たちが歌うのは当然であるが、それは押韻詩や楽譜を使用することではなく、心からの旋律によってであるべきだと彼らは信じていました。
ベンジャミン=キーチや彼の説得に従った人々のおかげで、今日私たちのバプテスト教会に会衆讃美の祝福があるのです。
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注1,Thomas Crosby, The History of the English Baptists (1738-40; reprint ed.; Lafayette, Tenn. Church History Research and Archives, 1979), 2:143-44, 4:269-82
注2,Thomas Armitage, The History of the Baptists (1890; reprint ed;, Watertown, Wis.; Maranatha Baptist Press, 1976) , 2:547-51
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