バプテストの歴史 2004年2月28日

 

2月28日 年老いて弱り果てた苦難の人
       みことば 詩篇73:14−18

 マサチューセッツ植民地の初期のころというのは、バプテスト信仰を持っていた私たちの先祖にとって非常に苦しい時代でした。ウイリアム・ウイッターはそのような苦しみを経験した一人でした。1644年2月28日、彼はセイラムの法廷で糾弾されました。彼の裁判の記録がもっともよくその事実を物語っています。「幼児洗礼は罪であるという考えを受け入れていた。」ために、ウイッターは「自分の過ちを認め、セイラムでの次回の法廷に出頭するように」命じられました。(注1)
 ところが、ウイリアム・ウイッターは実に確信に満ちた人物でした。その後の法廷記録には次のように書かれています。「1645年12月18日にセイラムの法廷において、リン在住のウイリアム・ウイッターは大陪審によって出頭させられ、『幼児が洗礼を授けられるとき、そこに臨席するものは悪魔を礼拝しているのだ。』と発言した。」
 ウイッターは、もう一度法廷に出頭するように命じられました。1651年6月24日の法廷記録で、彼は、9ヶ月以上公の礼典に参加しなかったこと、また再浸礼を受けたことについて告訴されています。
 その後、ウイリアム・ウイッターはロードアイランドのニューポートにあるバプテスト教会に加盟しました。その教会は当時ジョン・クラーク博士によって牧会されていました。けれどもウイッターは年が進み、視力を失っていました。そのため、教会の人々と交わるために、マサチューセッツのリンからロードアイランドのニューポートまで通うことが困難となってきました。そこで、1651年、7月19日、クラーク牧師、オバディア・ホームス、ジョン・クランドールらが、「ニューポートの教会の代表として、リンのウイリアム・ウイッターの願いによりそこに到着しました。」(注2) 彼らは80マイルの長旅を二日間歩き続け、やっと日曜日の夜、ウイッターの家に到着しました。(注3)
 ボストン当局は、バプテストがマサチューセッツ管内に入ったことに注意を払っていました。そして裁判官代理たちが、あの三人を偵察するために送り込まれました。長旅で疲れていたので、クラーク、ホームズ、ランドールの三人はその夜、ウイッターのうちに泊まり、主の日の個人的な礼拝によってウイッターを励まそうとしました。けれども、マサチューセッツ湾植民地の制定組合教会の同意なしで礼拝を行うことは極悪な犯罪であるという当時の規則によって三人は逮捕され、居酒屋に連れて行かれました。それから、認められていない方法で礼拝を行ったという邪悪さから彼らのたましいを清めるために、州で定められた教会での午後の集会に出席するように強制されました。そして最終的に、ボストン刑務所に投獄されてしまいました。その後、あまりにもひどい不正が行われましたが、そのことに関しては後に扱うことにいたしましょう。
今、ウイリアム・ウイッターについて考えていただきたいと思います。彼は確かに不屈の精神を持ってはいましたが、彼が老年になっておりその身体は弱っていたことは明白です。でなかったら、認められていない礼拝を行った共犯者として彼もまた投獄されていたことでしょう。彼はこの三人に彼農地に来るように依頼し、また彼の家に泊まらせたからです。
 今日、私たちはアメリカでの礼拝の自由をあまりにも軽く受け止めているのではないでしょうか。事実、多くの人々にとって礼拝の自由が、礼拝しないことの自由にとすり替えられているのです。何の心配もなく礼拝のために集まることのできる機会を喜び、わが国にある自由を守るために戦おうではありませんか。

注1,John T. Christian, A History of the Baptists (1922; reprint ed;, Nashville: Broadman Press, 1926), 1:52-53, 2:379
注2, Ibid.
注3,O. K. and Marjorie Armstrong, The Baptists in America (New York:: Doubleday and Co.,1979) , pp.66-67  

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