バプテストの歴史 2004年2月23日

 

2月23日 ケンタッキーからの「古い軍馬」
       みことば 詩篇146

 ジェームス・スミス・コールマン牧師は、彼の故郷ケンタッキーでは、良い意味での"オールド ウオー ホース(タカ派)"として知られていました。彼は大規模な教会からの招聘は断り、田舎の丘の上にとどまって、そこで牧師として福音を伝える仕事をすることを望んでいました。彼の曾祖父はバプテストに対する信念のゆえにアメリカに渡ってきた人々でした。彼らは、ギリシャ語の「バプテイゾー」をルターがドイツ語で「タウフェン」と訳しているのを読みました。もちろんドイツ人として彼らにはそのことばが「浸す」ことを意味しているのを理解できたのです! ジェームス・スミス・コールマンは1827年2月23日に生まましれ。幼いときに救われ、彼が11歳の時にビーバー・ダム・バプテスト教会の一員となりました。大人になって、彼は説教者としての召しをおあずけにして、郡保安官に選ばれましたが、ある夕方、彼が近所の教会で伝道集会に出席していると、聖霊が彼の心にお働きになりました。郡保安官としての職を辞し、大いなる力で説教をし始めました。彼の最初の働き以来、彼が説教するたびに毎回、悔い改め救われる人々が起こされたのでした。
 私たちは、わが国の歴史の初期で福音を宣教する手段として討論会が用いられたことについては以前に言及したとおりです。さて、コールマンは聡明な頭脳と弁舌の才能に恵まれていました。彼は、ケンタッキーのカルホウンで、メソジストの牧師ウイリアム=L.カスキーと「信者のみの浸礼」について討論会を開くように依頼されました。幼児洗礼論者学者によって、大昔から用いられてきた「家族洗礼」論について、またその論自体がまったく推測に基づくものであることを知っていたので、コールマンも同じように推測に基づいてアプローチしようと思っていました。
 討論会は始まり、カスキーは予想通りに家族全体が使徒によってバプテスマを授けられたのであるから、幼児もその中に含まれていたと推測するのは合理的であり、であるがゆえに、幼児洗礼は聖書的であると主張しました。これに対して、コールマン牧師は以下のように話しました。
私はカスキー兄弟のルデアの家族に関して限られた情報しか持っておられなかっ たことに驚いています。彼はルデアが責任能力のない子供たちを持っており、洗礼 はこれらの子供に施されたと言われます。私はびっくりしました。先生。ルデアが 未亡人だったことをご存じなかったのですか。彼女は行商の布商人で、一人だけ子 供がいました。娘だったんですが、この娘は、赤毛で片目の靴屋と結婚し、ダマス コへ立ち去ったので、娘は家に何年もいませんでしたよ。ですから、その時の彼女 の世帯は、彼女自身および彼女の仕事を手伝っていた使用人から成りたっていまし た。先生、私は驚きましたよ。あなたは、これをご存じなかったのですか。
 カスキーは当惑して聞きました。「コールマン博士、たった今、あなたがおっしゃったことを、あなたはいったいどのようにして知ったのですか。」 獅子のほえるような声で返答は起こりました、「私はそれを推論したのです。先生。ちょうど、あなたが、あの家族の中に子供がいたと、あなたが推論したようにね。」(注1) この討論に聴衆は大笑いをしました。このようにして目的は果たされ、討論は終わりました。誰が討論に買ったのでしょうか。この討論会のすぐ後に、メソジスト側のリーダーであった、W・ポープ=イエーマンはバプテストになり、ミズーリと西部のバプテスト教会で主に仕えたのでした。

注1 Ben M. Bogard, Pillars of Orthodxy; or, Defenders of the Faith (Louisville: Baptist Book Concern, 1900)

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