2月19日 宣教におけるアメリカのバプテストの対立
みことば 詩篇 105,130
1808年に、まだ改宗していないにもかかわらず、アドニラム・ジャドソンはアンドバー神学校に入学を志願しました。幸いにもジャドソンは9月に救われてクリスチャンの働きのために献身しました。訓練期間の最初の年は完璧でした。ジャドソンは"東の星"というタイトルの説教を読んで、1809年の2月に宣教師になる決心をしました。そうなれば早いもので、1809年の6月に彼の妻となるアン・ハセルチンに出会いました。1811年に彼は宣教師として任命され、1812年に彼とアンは結婚しました。2月6日に組合教会の働き人として任命され、19日に2人はインドのカルカッタに向かって、帆船「キャラバン」号に乗船しました。彼らのハネムーンは長い船旅となり6月17日に到着して楽しい旅は終わりを告げました。
そして、船に乗ったこの若いカップルにすさまじい変化が起こりました。ジャドソンはウイリアム・ケリーや他のイギリス・バプテストの宣教師たちの近くに住みたいと願っていました。けれども彼はバプテスマと言う点で自分の立場を守らなければならないと思っていました。彼はそれについて原典で新約聖書を熱心に調べ始めました。そして彼は自分が発見したことに驚きました。そして長い間迷った後、彼はバプテストの立場を受け入れたのです。9月6日にアドニラムとアンはカルカッタのバプテスト教会で浸礼を受けました。後にアンは友人に書き送っています。"愛するナンシーへ、私たちは浸礼のバプテスマを受けました。私たちがそうありたいと願ったからではなく、真実が私たちをそうさせたのです。私たちはこの世で孤立し、互いの他に友もなく、神以外には誰も頼ることができないと感じました。"(注1)
アドニラム・ジャドソンがプリマウスの第3(組合)教会に送った説明文を引用しましょう。
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私は幼児の時に滴礼を受けたことを知っています。そしてそれがバプテスマだと思
っていました。しかし私には新約聖書全体を通してバプテスマの礼典に関して滴礼の
ようなものを見いだすことができませんでした。生まれながらの人が前もってその課
題について知らされることなしに新約聖書を読み通すならば、バプテスマが滴礼であ
るというような考えは決して浮かんでこないのです。バプテスマはあらゆる場合にお
いて川での浸礼であったという事実を見出します。一行は水の中に入っていって、水
の中から出てくる。彼らは滴礼のためにそうするほど愚かではなかったでしょう。バ
プテスマと訳されたことばそのものに関するほんの少しの探求が私を納得させました。
その明白で、適切な意味は浸すこと、漬けることで、これについて広範囲に読むこと
によって、ギリシャ語の筆者の誰からも、いくつかの比喩的な応用をのぞいて、反バ
プテストが言う滴礼もしくは浸礼の他の何かを意味している実例を見出すことはでき
ませんでした。(注2)
この経験から、1814年の今日、にアメリカのバプテストは世界伝道の働きをサポートすることにしました。バプテスト史の中で、2月19日はなんとわくわくする日であったことでしょうか。
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注1, Jesse L. Boyd, A History of Baptists in America Prior to 1845( New York: American Press,1957)、p.96
注2, Francis Wayland< A History of the Life and Labors of the Rev. Adoniram Judson(New York: Sheldon and Co.,1860), 1:102-3
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