2月18日 南北戦争の前の黒人と白人
みことば 詩篇 29編
1836年にある白人の牧師が1384人の黒人と333人の白人のいる教会の招聘を受け入れて直面した問題を想像できますか? 南部の教会に黒人がいることを驚かれますか?残念なことに、バプテスト教会史の知識不足のために多くのひずみが生じています。例えば、サウスカロライナのチャールストン第1バプテスト教会では、1827年には862人のメンバーのうち697人は黒人で、白人は165人だけでした。(注1) ジェレマイア・ベル・ジェッターは1836年にバージニアのリッチモンドの第1バプテスト教会の牧師になりました。彼はすぐに、1384人の黒人のために分けられたスペースでは不十分であることに気づきました。2年間よく考察した後ジェッター牧師は黒人であろうと白人であろうと同じ場所で礼拝するのが最も良いという結論を出しました。そこで彼は会衆に新しい建物を建てるように提案し、既存の建物を新しく第1アフリカン・バプテスト教会を立て直しました。さらに彼はリッチモンド・カレッジのロバート・リーランドをその教会の牧師になるように説得しました。
ジェレマイア・ベル・ジェッターは1802年7月18日に生まれ、17歳のとき、古い時代のタイプのキャンプ集会で救われました。1821年12月、彼はティーンエイジの間にバプテスマを受けました。バプテスマを受けた後、彼は川岸に立って最初の公の演説をしました。さらに数週間のうちに最初の説教をし、1824年15月4日に宣教の働きに任命されました。J.B.ジェッターはことに優れた雄弁家ではありませんでした。けれども彼はすばらしく成功し、9年間に1000人以上の人々にバプテスマを授けました。さらにリッチモンドのファースト・バプテスト教会の牧師としての14年間に、さらに約1000人の改宗者にバプテスマを授けたと記録されています。 彼自身がリバイバル集会で救われたこともあり、その働きのすばらしさを知っていたので、集会を続けるように奨励しました。1842年に福音キャンペインが5ヶ月間も続きました。そしてその間に167人のメンバーがバプテスマを受けて教会に加えられたのです。
ジェッター牧師は伝道熱心な指導者でした。1846年にアドニラム・ジャドソンがリッチモンドを訪れたときのことでした。ビルマの尊敬すべき宣教師を歓迎する演説が、ジェッター博士によって行われました。その演説はジャドソン博士のあらゆる伝記に書き記されているほど強い印象を彼に与えたのです。(注2) 伝道を愛する故にジェッター博士はバージニア・バプテスト海外伝道団の団長として仕え、またアメリカ・バプテストの3年毎の大会の委員として働きました。北のバプテストと南のバプテストに分裂が生じたとき南部の海外宣教団の団長としてよく働きました。
南北戦争が終わったとき、ジェッター博士はThe Religious Herald誌の編集長となり、南北のバプテストの仲介者になろうともしました。1880年2月18日に死ぬまで彼はその編集長として働きました。悪意も憎しみもなく彼の生涯は成功したものでありました。私たちは愛すべきこの神の人の思い出を敬意を持って振り返るものです。
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注1、Robert A. Baker and Paul J. Craven Jr. Adventure in Faith (Nashville: Broadman Press. 1982), p. 213
注2、Blanche Sydnor White, First Baptist Church-Richmond, 1780-1955( Richmond: Whittet and Shepperson, 1955), p. 60
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