2月17日 大統領、バプテスト、巨大なチーズ
みことば 詩篇 47
1801年2月17日、下院の第36回投票により、トーマス・ジェファソンはアメリカ合衆国の第3代大統領に選ばれました。投票によって二位になったアロン・ブァーが自動的に副大統領となりました。(注1)
当時、ジョン・リーランド牧師は福音を宣教し信仰の自由のため働くためにマサチューセッツからヴァージニアに移住しました。そして、彼はジェームズ・マデイソンとトーマス・ジェファソンの隣に住んだのです。彼は政治的な分野において非常に活動的になり、信教の自由に関してバプテストの立場を表明したばかりではなく、ジェームズ・マデイソンを、ヴァージニア憲法制定会議の代表者として、後には下院議員の選挙において支援するためにバプテストを集めました。マデイソンは、自分が当選したら最初の議会において人権宣言を取り上げることをバプテストに約束しました。
1792年にリーランドはマサチューセッツのチェシャーにもどると、政治活動家として働き続けました。そして、1801年の大統領選挙に先だって、彼のかつての隣人トーマス・ジェファソンを有権者が投票するように導きました。そして共和党のこの候補者が選ばれると、彼は教会員とともにそれを祝いました。(注2)
リーランドの考えによれば、アメリカはついに、一般の人を理解している「人民のための大統領」得たのでした。さらにこの出来事を祝うために、ある日、900の地域の「忠実な共和党の牛たち」の生産した牛乳がチェシャーに集められました。そこで住民は集まり賛美歌を歌い、交わりを持ち、みんなでチーズを作りました。その結果、直径4フィート4インチ、厚さ15インチ、重さ1235ポンドというマンモス・チーズができました。
リーランドとダリウス・ブラウンはそのチーズを積み込みワシントン、コロンビア特別区に向かいました。彼らはそり、馬、荷馬車で運び、ボルチモアへ出航するためにハドソン川で帆船に乗せました。リーランドはその大きなチーズを見るために集まった人々に福音を語りました。到着すると、ジェファソンはこれらのバプテストたちを歓迎しすばらしいマンションに迎えました。リーランドはその巨大なチーズについて、「このチーズは・・・私たちが栄光によくするためとかあるいは高い地位を得るために作られたのではありません。ひとりの奴隷の力も借りずに、自由民の農夫たちだけの努力によって、自由な人民の大統領のために作られたものなのです。」と言いました。
リーランドは数日の間ワシントンに滞在しました。1802年の1月1日金曜日に到着し、次の日曜日3日には、ジェファソンの任期の間毎週一回首府で開かれたクリスチャンの集会で説教をしました。連邦主義者の下院議員マネッサ・カットラーは、彼はまた牧師でもありましたが、彼は、座席に座りこのような「おそまつで、無知な教養のないチーズ屋の説教」を聞かなければならなかったことに不平覚えました。そして後に、リーランドの説教は「耳をつんざくような声で、ぞっとするようなトーンの、全く不愉快なしかめっつらの、けばけばしいジェスチャーを交えたごった煮の鍋のようなものであった。」と書いています。
そのチーズはホワイトハウスでのパーテイで何ヶ月もの間使われました。ある記録によると、そのチーズは1805年の大統領のレセプションのときまでもったとあります。別の噂によれば、それでも残ったのでその年、ポトマック川に捨てられたということです。
チェシャーのチーズは、私たちの時代、ウイスコンシン・チーズ財団がニューヨーク世界博に出品した34591ポンドのチーズと比べるなら小さなものでしたが、大切な出来事を刻んだオリジナルの巨大チーズとしていつまでも残ることでしょう。今でも、マサチューセッツ州のチェシャーにあるチャーチ通りの郵便局の近くにコンクリートで残されています。
私たちは、国教に対して反対するように政治家を動かしたのはバプテストであったことを覚えておくことができますように。そして彼らは、国家と聖書的原則との間にある分離の壁に決して賛成しなかったのです。
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注1 World Book Encyclopedia (1968), 2:64
注2 Richard Sassaman, "The Original 'Big Cheese," American history Illustrated, January 1989), pp.34-35
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