バプテストの歴史 2004年2月14日

 

2月14日 苦難は彼を思いとどまらせられなかった!
       みことば ピリピ 3:13−17

 ウエールズではバプテストの教理がかなり早い時期から知られていたということが一般的に認められています。またアメリカの初期の歴史の中で、ウエールズのバプテストがアメリカのバプテストに与えた影響も大きいものであった言わなければなりません。1663年に、「1649年ウエールズに組織された移民教会は、・・・・この国に彼らの記録携えて移ってきた。そしてロードアイランド開拓地の近くに与えられた土地に教会を設立した。・・・ジョン・マイルズは、この旧世界から新世界へ移ったバプテストの群れの牧師であった。」(注1)
 ウエールズ・バプテストは、教会の交わり、聖書中心の日曜学校、喜びに満ちた会衆讃美の強調をもたらしました。「最も初期の時代から、ウエールズ・バプテストは英語を話すアメリカ住民の間に大きな影響を残してきた。アメリカ・バプテストのかたちはウエールズ・バプテストの形態の写しであったと言うことは疑いの余地がない。」(注2)
 私たちの住む現代においては、信教の自由を求めた初期の開拓者たちの経験した困難な旅にに感謝するのは難しいことでしょう。残念なことに、ジョン・マイルズとその群れは迫害を避けて逃れました。けれどももう一人のウエールズのバプテスト説教者アベル・モルガンは 、ウエールズからアメリカに渡るように導いておられる神のみ手を強く感じていました。彼の証は私たちにとって大きな祝福となるに違いありません。1711年8月23日、ブラウナウグエントにあったその教会は、15年間牧会をした彼らの牧師に感謝する特別の集会を開いていました。彼らは痛む心で牧師に別れを告げたのでした。このような愛すべき牧師と別れるのは、彼らには耐え難いことのように思われるのでした。けれども、モルガン牧師は神の御霊の導きに従ったのです。彼の群れへの最後の説教は彼らの教会の中に記録されました。次に続く世代も読むことができるためにです。
 すぐに、モルガン家はブリストルに向かい、9月28日、彼らはアメリカに向かって船で旅立ったのでした。ところが、逆風が吹き、船は停泊しなければなりませんでした。3週間待ちました。そして再び出航したのですが、荒れ狂う風によってアイルランドのコルクにまで追いやられてしまいました。そしてさらに5週間出航を遅らせなければなりませんでした。多くの乗客が病気になってしまったからです。11月19日、彼らはやっと目的地に向かって旅を始めることができました。しかし、12月14日、アベル・モルガンの息子が亡くなりました。そしてその3日後、彼の愛する妻は最後の息を引き取ったのでした。この二人とも、海に葬る以外にありませんでした。確かにこれは激しい苦難でした。けれども主にあって、神のしもべは耐え、また不満をもらしません!  1711年2月14日、ついに彼らはアメリカにたどり着きました。そしてモルガンはフィラデルフィアの近くにあるペネペックで働きを始めます。そしてそこで、1722年12月16日の彼の死の時まで忠実に働きを続けました。(注3)
 古いウエールズの説教者たちは、真理の力強い宣言で知られていました。ウエールズ・バプテストの中では説教は卓越していました。ですから、ウエールズのりヴァイヴァルは、このような力強い説教による聖書的な土台の上に起こったことは疑いの余地がありません。願わくは神が、今日私たちに、御霊によって力と愛と説得力を持ってみことばを語ることのできる説教者を与えて下さいますように!

注1 Jesse L. Boyd, A History of Baptist in America Prior to 1845(N.Y American Press, 1957), pp.31-32
注2 Albert Henry Newman, A Century of Baptist Achievement ( Philadelphia: American Baptist Publication Society, 1901), p. 60  
注3 Davis, History of the Welish Baptists (Pittsburgh: J.M.Hogan, 1835).pp.68-69

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