バプテストの歴史 2004年2月6日

 

2月6日 大男たちによって守られた神のしもべ
       みことば 詩篇 91

 ヴァージニア州チャンテイリーの近くに風格のあるれんが作りの家が建っています。これは、かつて初期の植民地時代のバプテスト牧師、リチャード・メイジャーが住んでいた家です。その家の後ろ数十メートルのところに、雨風にさらされてすっかり風化した石が彼の葬られた場所を示しています。その建物はアメリカにおける初期バプテストの歴史を示す目印として、今では数少なくなった当時を思い起させる建物の一つです。
 リチャード・メイジャーはペンシルヴェニア州、ペンスバリーで、1722年2月6日、長老派の信者の家族に生まれました。(注1) 若いころ、彼しばしば自分の罪に責められ悩みました。そこで、悪い仲間に頼ることによって、何とか罪の呵責から逃れようと努力したのです。神のめぐみが彼に望むときまで、おおよそ最もおぞましい誘惑の中にどっぷりとつかっていたのでした。そして時が満ちて、手の恵みによって、彼は最も熱心なクリスチャンとなったのです。彼はバプテストの原則に喜んで従いました。ときに1766年、彼はヴァージニアのロンドン郡に移り住みました。
 それほど教育を受けてはいませんでしたが、メイジャーは頑強な精神を持っていました。そしてみことばの学びに没頭し、キリストの学校での深い教えを受けました。彼はリトル・リバー教会で按手を受け、その教会の牧師となりました。さらにその教会を通して、彼は6つか7つの教会が設立したたのです。(注2)
 メジャーが説教を始めて何年も後、非常に大きな反対に遭いました。彼を捕らえるための逮捕状が何度も発行されました。しかし官憲はいつも彼を捕らえることに失敗していました。
 ブル・ランにおいて、こん棒で武装した暴徒が令状の実行を手伝うために現れました。ところが、メイジャーに反対するために選ばれていた腕っ節の強いデービス兄弟たちは、メイジャーの説教を聞いて心が動かされ、メイジャーに邪魔をする者はだれでも容赦しないとおびやかしたほどでした。
 メイジャーがバプテスマを授けたひとりの女性の夫が、彼を殺そうと決心し、その目的を持って集会に臨みました。彼は、不愉快な表現を使ってどうにかして彼を怒らせ、それを彼に立ち向かう口実にしようとたくらんでいました。けれども、主が介入してくださったのです。そしてこの男は、メイジャーの足もとにいることができないほど心が刺され、後に、自分が殺そうとした牧師からバプテスマを受けることになったのでした。
 またあるとき、一人の男がこん棒を持って激しい勢いでメイジャーに立ち向かってきました。リチャード・メイジャーは彼に向かって言いました。「サタンよ、おまえに命じる。このおとこから出て行け。」 するとすぐに、男の手に握られていたこん棒が地に落ちました。ライオンは小羊のようにおとなしくなってしまったのです。これらは、彼の働きの中で起こった多くの有名な出来事の例にすぎません。  メイジャーは、「結砂病」と呼ばれる慢性病に悩まされ始めます。だれかに、コップ一杯の赤タマネギと野生ミントの絞り汁を毎朝飲む治療法を勧められました。彼はこれを実行し、数年間の間、幾分かの回復が見られました。そして彼の働きを続けることができたのです。
 メイジャーは、その晩年、人々から高い尊敬を受けていました。彼はこのことを主からの警告と受け取りました。と言うのは、主は、人々があなたについてよく言うときは注意すべきであると言われたことを思い出したからです。しかしこの不安は、偶然ある人が最もひどい犯罪を彼のせいにしようとしているのを聞いたときに静められました。
 働きが妨げられるとき、主がご介入くださり、またそのことを理解する洞察力を与えて下さいますように。

注1, David Benedict, A General history of the Baptist Denomination in America,(Boston: Manning and Loring, 1813), 2:349-50
注2, Robert B. Semple, A History of the Rise and Progress of the Baptist in Virginia (Richmond: Published by the author, 1810) pp. 432-33


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