2月4日 全能の神に届く無能の人の祈り
みことば 使徒12:1−17
ヴァージニア州チェスターフィールド郡の議事録第5の400ページには、1774年2月4日に、デイヴィッド・テインスレイの逮捕の記録があります。その内容は以下のようなものでした。
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デイヴィッド・テインスレイは、バプテストの牧師として当郡においていつもどこででも人々を集め説教をしたかどで拘束され告訴された。そして同容疑者は、そのことを法廷において認めた。裁判所は、同人が平和及び善行についての違反であるとの意見に達し、彼は 1 年の間、平和を善行を守ることの誓約し、本人は50ポンド、二人の保証人はそれぞれ25ポンドずつ罰金を支払うことが命じられた。注1
この事件に関する法廷の陳述によれば、バプテストであること、またイエス・キリストの福音を説教することは犯罪であったということになります。同じ年の3月4日、アーチバルド・W・ロバーツは、主の晩餐と説教に続いて、ダヴィデの詩篇ではなく、賛美歌と詩を使ったために起訴されました。当時州と州立の教会はあらゆる手段を使って、このような神の恵みのメッセージを宣教していたバプテスト伝道者の声を消そうとしていたのです。
テインスレイは4ヶ月と16日間監禁されました。その間、彼はやはり捕らえられていた仲間の者たちとともに監獄の門から、集まってくる聴衆に向かって説教したのでした。テインスレイが投獄されている間、チェスターフィールド当局はこのような事例の場合法律は一体どのように定めているのかについて議論をしていたのです。彼は1774年5月の第2土曜日、ハリファックス郡のホールズ集会所に集まった協会の兄弟達に対して、手紙で訴えました。協会の記録によるとテインスレイの訴えに対する協会の記録の一部には次のように書かれています。「彼らの苦しみのゆえに兄弟達の心は動かされた。その結果彼らを助けるための献金を集めることになった。また、哀れな盲目の迫害者たちと私たちの兄弟の解放のために」断食の祈りの日として6月の第2、第3土曜日を定めることが決議された。」(注2)
集められたお金はハンカチに包まれて、説教者たちの解放のために使うようにパトリック・ヘンリーに送られました。気品高い愛国者であったパトリック・ヘンリーは彼らの味方としてとりなしをしましたが、そのお金は送り返されてきました。説教者たちが人々に勧めをしないように刑務所の門に壁が建てられると、壁の外に集まった人々はみことばを聞く準備ができたことを壁の内側の説教者たちに知らせるために、ハンカチを棒の先につけて高く掲げたのでした。このようにして形成された交わりは、「バンダナ隊」として知られるようになりました。何という歴史的なハンカチでしょうか!
標準は決してより相当な原因あるいは以前の変動相場制〔フロート〕の信号により高貴な包囲されたバンドを与えませんでした。
断食と祈りは聞き届けられました。テインスレイが釈放された日付けは二回目の断食の日か、でなければその前後でした。祈りは天と地、つまり有限な人間と全能の神とをつなぐ鎖のようなものなのです。そのころデイヴィッド・テインスレイが釈放されたばかりではなく、続いていたバプテスト説教者の投獄も終わりに近づいていました。ヴァージニア州とその植民地において、1775年と1778年に二件だけ逮捕があったということが知られています。
このような投獄の期間に、好奇心の強い多くの人々が、説教者たちが何を語るのかを聞き、またからかうために刑務所に行きました。ところが彼らの多くが、説教者の語る真理のメッセージによって罪が示されたのでした。非常に多くの人々が救われ、バプテストになりました。そしてその中の何人かはバプテストの説教者となったのでした。
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注1, Lewis Peyton Little, Imprisoned Preachers and Religious Liberty in Virginia (Lynchburg, Va. .:J.P.Bell Co.,1938), pp.441-46
注2, Ibid.
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