バプテストの歴史 2004年2月3日

 

2月3日 心に歌を持っていたビジネスマン
       みことば 詩篇40:1−3

 クリスチャンのビジネスマンはバプテストが成長していく過程において大きな役割を果たしてきましたが、中でもウイリアム・ホワード・ドアーンは特別でした。1831年の2月3日に生まれたウイリアム・ドアーンは、16歳の時に自分の救い主としてキリストを信じました。そして、1851年にコネチカット州のノーウイックのセントラル・バプテスト教会でバプテスマを受けました。教育を終えると彼は木工道具を作る会社に計理士として雇われます。そして、最終的にはその会社の共同経営者となりました。彼はその成人時代のほとんどをオハイオ州のシンシナテイにあるこの会社で働きました。 その生活の最初のころ、ドアーンは音楽の才能を伸ばし、音楽の熱心な学徒となりました。彼はノーウイック・ハーモニック・ソサエテイの指揮者として活躍し、やがて自分の音楽作品で有名になりました。ところが31歳のころ、深刻な心臓疾患で苦しむようになります。そして、彼は自分の音楽の才能を福音伝道のために使うことを主と約束しました。そのとき以来、ドアーンはその関心をクリスチャン音楽に向け、特に日曜学校や伝道集会のための多くの歌を作曲しました。そして、アメリカの日曜学校で人気を博するようになる多くの讃美歌集を出版しました。彼はまた教会で使うためのクリスマス・カンタータを普及させたことで有名です。
 ドアーンのビジネスは非常に繁栄しました。そして1878年にデニソン大学(バプテスト学校)に図書館を建設するための費用をささげました。しかし、彼の大いなる貢献は、決して経済的なことがらだけではありませんでした。すばらしい音楽においても大きな貢献を果たしたのです。ドアーンはファニー・クロスビーの詩に多くの曲をつけました。あるとき、それは1868年の夏のことでしたが、彼はクロスビーの家のドアをノックしました。ドアが開かれると彼は急いでその中に駆け込み、クロスビーに言いました。「クロスビーさん。私は今日、シンシナチー行きの列車に乗るまで、もう40分しかありません。どうしてもその列車に乗らなければならないんです。」 彼女が用件を尋ねると、来月彼の町で州全体の日曜学校コンヴェンションが開かれるが、そのコンヴェンションに参加する子供や若者達にとって意味深い賛美歌の詩を、自分が作ったメロデイにつけてほしいのだと頼んだのです。ちょうどその日、ファニー・クロスビーは、「永遠の腕が下に。」(申命記33:27)というみことばに思いをはせていたのでした。このようにして、ドアーンがメロデイを演奏している間に、クロスビーは「イエスの御腕に」という詩を書き留めました。書き上げると、その紙きれを折って封筒に入れました。彼女は彼に、列車に乗り遅れないように急ぐように促しました。そして、列車の中でその詩を読むようにと彼にその封筒を手渡したのでした。ドアーンは彼女に感謝して別れました。彼は、長い間多くの人々を励まし続けることになるその詩を、列車の中で初めてドア―ンが読んだのでした。(注1)ドアーンとクロスビーは、「主よ、わがかたえを過ぎ行かず」、「おおみ神をほめまつれ」、「主よ、われは君のもの」、「十字架のかげに」や、その他多くのすばらしい賛美歌を協力して作り上げました。
 1888年、ドア―ンは「バプテスト賛美歌」を編集しました。それはアメリカ・バプテスト出版協会によって出版されました。(注2)この賛美歌はおそらくアメリカにおいて最も広くバプテスト教会で用いられてきた賛美歌となったのです。ウイリアム・ドアーンが、私たちの主の栄光の中に入れられ、天の音楽を聞いたのは1915年のクリスマス・イヴのことでした。このようにして、信仰深いこのビジネスマンは、今日もなお用いられているすばらしいメロデイをもって、教会に大きな祝福を与えたのでした。

注1、 Ernest K. Emurian, Living Stories of Famous Hymns(Grand Rapids: Baker Book house,1955), p.112
注2、 William Henry Brackney, The Baptists(New York: Greenwood Press, 1988), p. 156


Prev Home Next
2月2日 Up 2月4日


 
 
The Fundamental Top 500