1月30日 レイン,義のための「道」となる
みことば:ローマ書15:20
タイデンス・レインは1724年8月31日に、メリーランドのバルチモアの近くで生まれました。そのころ、彼がバプテストの説教者になるというようなことは考えもつかないことでした。彼の父、リチャード・レインは聖公会の信者で、熱列なバプテスト反対者だったのです。やがてレイン家はノース・カロライナに引っ越しました。やがてそこで、分離主義バプテストのメッセージがレイン家に感銘を与えることになります。
1743年、エステル・ビバーとの結婚のすぐ後、タイデンスはシュバル・スターンズの説教を通して福音を聞き、栄光に満ちた救いへと導かれたのでした。彼の改心のすぐ後、タイデンスは福音の宣教のために献身しました。これは彼の父にとってはかなりの衝撃であったに違いありません。と言うのは、1758年、彼の弟、ドウットンが救われ召しを受けたことに激怒し、ドットンを殺そうとさえ考えたからです。(注1) この父親の驚くべき改心については、後に本書で述べることにいたしましょう。
タイデンスとエステルに7人の息子と2人の娘が与えられました。英国の長官ウイリアム・トリヨンによってノース・カロライナのバプテストたちに政治的圧力が加えられるようになったころでした。タイデンスは、まだ一度も福音が語られたことのないところで宣教したいという願いからテネシーに向かいました。そして、タイデンス・レインは、「1779年に…・テネシー州において最初に組織された常設教会の最初の牧師」という栄誉を得ることになったのです。彼はまた、「州で最初の協会議長として認められています。彼は1786年10月21日に、ワシントン郡に『チェローキー・ミーテイング・ハウス』を組織しました。」 これはテネシーが連邦政府に加入を認められる10年前の事でした。(注2)
テネシーはまさに荒野でした。そして、バッファロー・リッジにおける教会の初期の記録は、1774年のインデイアン戦争の間に失われてしまったといわれています。「名声と成功の牧師」としてのタイデンス・レインに関するデイビッド・ベネデイクトの記述は、1790年までにテネシーには18の教会と21人の牧師、そして889人の会員を持つアソシエーションがあったという事実からきているものに違いありません。確かにタイデンス・レインは説教の賜物とともに組織を作り上げる素晴らしい能力が与えられていたのです。(注3)
1806年1月30日に天に召されるまで牧会の働きを続け、レインは約60年間奉仕の生活に生きぬきました。彼の働きを通して、福音の西方進行とともに多くの人々が救われ、教会が立てあげられていきました。キリストのために「生きまた生かされたい」と願った開拓者だましいをもった神のしもべでありました。私たちはこの真のキリストのしもべを特別に覚えたいと思います。
-
注1, Morgan Edwards, Materials Toward a History of the Baptists(Danielsville, Ga.:Heritage Papers,1984), 2:45
注2, Norman Wade Cox, ed., Encyclopedia of Southern Baptists(Nashville: Broadmanpress, 1958),2:758-59
注3, Robert Baker, The Southern Baptist Convention and its People, 1607-1972(Nashville: Broadman Press,1974), pp.90-91
|