バプテストの歴史 2004年1月29日

 

1月29日 貴族が浸礼を受け入れたとき
       みことば:第1コリント1:25−31

 英国の裕福なクリスチャンホームで生まれたルーシー・ハッチンソンは高い教育受ける機会に恵まれ、清い生活の模範も与えられていました。ルーシーは1620年1月29日ロンドン塔で生まれました。(注1) そこで彼女の父アレン・アプスレイ卿は長官をしていたのです。

 ルーシーは読書に非常に興味を示すようになりました。そして大人になったときには、その地域のどの女性よりも豊かな知識を持っていました。彼女はまだ若いうちにイエス・キリストを自分の個人的な救い主として受け入れました。そして主に対する愛を心からの献身の生活を通して証したのです。ルーシーがコロネル・ジョン・ハッチンソンと結婚してから、彼はノッテンガムとその城の領主に任命されました。二人は英国の解放に多大な影響を及ぼし、州の中で大いに人気を博しました。コロネル・ジョン・ハッチンソンは、1616年に準男爵の息子として生まれ、ケンブリッジで教育を受けました。(注2) 二人には静かで平和な生活を送ることができる広大な土地がありました。しかし、そのころ市民革命が起こりました。これがコロネル・ハッチンソンは領土に住む人々のために、献身的に情熱を込めて自分自身を捧げたのでした。彼女の夫の支配下にあった5人の兵士が傷つき、城に運ばれてきたとき、ルーシーは苦しむ人々の手足や体の傷の手当てに献身的に働きました。彼女は生涯自分の強い信仰を表明したことはありませんが、彼女の勇気や善行がそれを明らかにしています。とにかく彼女の負傷者との経験は彼女の生活を特別な方向へと踏み込ませました。

 ハッチンソン家は長老派でした。ルーシーは彼らのバプテスト教義への改心について興味深い話をしています。最初の子供が生まれる前から、ハッチンソンは幼児洗礼に関して、みとばを調べ始めました。彼らは自宅でも長老教会の神学者たちと議論しました。しかし神のみことばに正当な根拠はないという結論に達しました。城で負傷者の手助けをしている間に、ルーシーは砲兵の部屋でバプテストの兵士のノートを見つけました。それは彼らが聖書研究と祈りのために使っていたものでした。彼女は丁寧にそのノートを調べました。そしてそれをみことばと読み比べました。結局最終的には、彼女はバプテスマは信者のみが受けるものであるという信仰を告白しました。そしてコロネル・ハッチンソンもそれに追従して、バプテスト教義の方が正しいと断言したのです。陸軍大佐は信教の自由の堅い擁護者でした。そしてフレンズ協会の創立者・ジョージ・コックスがノッテンガムの囚人であったときの主な保護者として知られています。

 ルーシーは、長い人生を送り、夫との"思い出"を書きあげました。17世紀の"天路歴程"のように、それは散文調で書かれました。神に感謝しましょう! 神のみことばは、"多くの高貴な人は選ばれない"しかし"わずかな高貴な人は選ばれる"と語っているのです。願わくは、私たちが生活の状況にかかわらず、心から真理のために立ち、聖徒のためにに尽くすことができますように。

注1,William Cathcart, The Baptist Encyclopedia, ed. Louis H. Everts(Philadelphia: Louis H. Everts, 1881), 1:565-66. 
注2,Thomas Armitage, The History of the Baptists(1890; reprint ed,. Watertown, Wis.:Maranatha Baptist Press., 1976) 1:460

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