1月27日 鉄のカーテンの向こう側のバプテスト
みことば:詩篇11:3、コリント第1 4:2
1928年、ロシアの敬虔な両親から生まれたジョルジ・P・ヴィンスは、若いころ福音に対する共産主義者の反論を学びました。ジョルジの父親、ピーター・I・ヴィンス牧師はアメリカで神学を学び1922年にソ連邦へ戻りました。そしてシベリアで開拓伝道に従事しました。その働きは実り豊かなものではありましたが、実に短いものでした。と言うのは、彼は1930年に逮捕され、3年間の強制労働収容所行きを言い渡されたからです。1936年に、ペータ・ヴィンズは再び捕らえられ、牢獄に投獄されました。その牢獄で裁判もないまま9ヶ月拘留された後に釈放されました。ところが、1937年、ジョルジの父親は、シベリアのオムスクにあるバプテスト教会で牧師をしていた時、三度めの逮捕を経験しました。その教会は1000人のメンバーを有する教会でしたがヴィンズ牧師の逮捕の後、強制的に閉鎖されてしまいました。
若いジョルジの心には、このような経験によって拭い去ることのできない傷が残りました。数年後、彼は父親を励ますために、母とともに監獄に行ったときのことを書いています。原則的には「面会」は許されていませんでした。けれども、父親が投獄されている4階の窓には網戸がつけられていないことを知った彼らは近くの道路のベンチに何時間も腰を下ろしていました。そして定期的にペータ・ヴィンズは、彼の妻と息子に手を振りました。どうしてこのバプテストの牧師は投獄されなければならなかったのでしょうか。主イエス・キリストの福音を述べ伝えたからに他なりません。やがてヴィンズ牧師がこの監獄から移される日がきました。その後、妻と息子は二度と彼を見ることはありませんでした。なぜなら、1943年、彼は強制労働収容所で、天に召されたからです。
若いジョルジは成長しキエフで二つの学位を取得して教育を終えました。けれども、彼のホームの敬虔な影響は主に忠実であることと福音を伝えることの必要性を強く植え付けていました。彼の母、リデイア・ヴィンズは、囚人関係者会議を指導していたので、1970年2月8日、逮捕され、その活動のために3年間投獄されました。
やがて、ジョルジ・ヴィンズはバプテストの中で代表的な人物となりました。ロシア政府が、すべての教会は政府に登録をしなければならないという法律を通したとき、ヴィンズ兄弟は、こうすることによって政府が各教会を支配するのを許すことを拒絶したバプテストの指導者でした。この抵抗によって彼は逮捕され、1966年11月に裁判を受けて強制労働収容所での3年間の刑期を言い渡されました。1969年5月に釈放されましたが、再び逮捕され、今度はキエフでの強制労働に送られました。釈放された後、彼は公にその働きを続けることができなくなり、4年間近く隠れていなければなりませんでした。その間、彼は許可なしでソ連邦を旅し、機会があるごとに説教をし、聖徒たちを励まし続けました。けれども、1974年3月、ヴィンズはまた逮捕され、1975年1月27日の裁判で、強制労働収容所での5年間と、その後シベリアに追放され、彼のすべての財産は没収されました。(注1)
この出来事にあった主のご計画について、あなたは3月30日に記されている記事をお読みになってください。私たちは、私たちバプテストの祖先がこの地で戦い、勝ち取ってくれたアメリカにおける宗教の自由のために、神に感謝しなければなりません。
注1 Alexander de Chalandeau, The Christians in the USSR (Chicago: Harper and Row, 1978), pp.20-22
|