1月26日 バプテストは全員が宣教師!
みことば:箴言3:5−10
1月2日に、私たちはヨハン・ゲルハルト・オンケンを「ドイツバプテストの使徒」としてお話ししました。オンケンの生涯は、霊的な豊かな祝福に満ちており、今日のバプテストにチャレンジを与えてくれるものです。1800年の今日は、彼の誕生日でした。そして50年の間彼は倦むことなく主につかえました。ですから、彼は「大陸バプテストの父」としても知られているのです。
-
オンケンはたった一人の伝道協力会、神学院、そして文書配布センターとして主に仕えた。ひとりでこれほどまでに貢献し、その足跡をこれほどまでに明確に残した人物はまれである。ドイツばかりではなくヨーロッパ全域において、多くのバプテストの働きは直接的にオンケンに由来するか、そうでなければ彼が訓練し遣わした者たちによるものである。彼はほとんど使徒の働きのごとくに主に仕えた。ひとりで伝道t旅行に出かけ、新しい人々を勝ち取るために、またクリスチャンたちを信仰において強めるために手紙
を書き、また、始められた働きが維持されるように宣教師や説教者を遣わしたのである。(注1)
オンケンのモットーは全てのバプテストは宣教師であるということでした。そして、1850年までには、ハンブルク第一バプテスト教会は3人の宣教師を支援し、ヨーロッパで20以上の教会を建設するための資金を起こすのに協力したのです。
しかしまた、ヨハン・オンケン自身が宣教師でもありました。1847年、彼はスイスへ行き、改宗者を勝ち取り、彼らにバプテスマを授け教会を組織したのでした。また、1847年、彼はオーストリアにも旅をし、何人かにバプテスマを授けました。1855年には、この宣教のヒーローはラトビアで福音を宣べ伝えています。あるとき、ひとつの伝道旅行で、彼はひとりのルーマニア人の改心者にバプテスマを授けました。そしてそのルーマニア人は1858年にブカレストで書籍の訪問販売人となりました。やがてその町に、ひとつの教会が形成されました。ドイツに在住していた何人かのハンガリア人がオンケンとかかわり、悔い改めて宣教師として自分の国に帰っていきました。(注2)
印刷物の力を信じていたヨハン・オンケンは、行くところどこででも、福音文書を配布しました。ハンブルクにあった自分の教会で、彼は、家から家へとトラクトを配布するために信者の働き人を組織しました。また、ヨーロッパで最初に出版されたバプテスト新聞、「宣教新聞(Das Missionblatt)」の働きにも加わりました。福音をさらに遠くまで、さらに広く宣教することを望み、彼は港に停泊する船を訪れトラクトと聖書を配布しました。なぜなら、彼は神のことばは生きていて、人々に霊的ないのちを与えることができると信じていたからです。
彼は、あがないのメッセージを分かち合うためなら、どんな時にもあらゆる機会を一人占めしてしまうようなユニークな人物でした。根気強い努力とともに、彼は忍耐を持ってキリストのために働きました。キャスカードは書いています。「オンケン氏は・・・脅かされたり黙らされたりするようなことはあり得なかった。彼は君主の出す禁止令などには注意を払おうとはしなかった。彼は、投獄されたときでさえ、その地下牢を恐れるようなことも屈服するようなこともなかった。」(注3) 確かに、彼の人生は感動に富むものであり、私たちの主に対して忠実であるようにと呼びかけているものではありませんか。
注1 H.Leon McBeth, The Baptist Heritage (Nashville: Broadman Press,1987) p.470
注2 Henry C. Vedder, A Short History of Baptist Missions (1907:reprint ed.,Philadelphia: Judson Press. 1927), pp.378-88,429-30
注3 William Cathcart, The Baptist Encyclopedia, ed. Louis H. Everts (Philadelphia: Louis H. Everts, 1881), 2:869
|