バプテストの歴史 2004年1月25日

 

1月25日 義人が悪の行為者とされて苦しむとき
       みことば:箴言29:2、詩篇12:1

 1660年から1688年まで、イギリス連邦に続く英国バプテストの歴史は、進展を求めると言うよりはむしろ生き残るための戦いでありました。1660年11月に、ジョン・バニヤンは英国のベッドフォードで12年にわたる牢獄生活を始めました。主要なバプテストの牧師たちもまた投獄されました。1661年10月19日、サバタリアン・バプテストの牧師ジョン・ジェームスは、ロンドンのホワイトチャペルの講壇からひきずりおろされ、ニューゲイトの監獄に収監されました。1661年11月26日、彼は、首吊りの刑を執行されるためにテイバーンに連行されました。このすべての悪行に対しても、チャールズ王2世は実に冷ややかでした。

 バプテストは決して公的な力に頼るようなことはありませんでしたが、自分たちの苦境を述べた文書を出版することによって公的な関係の是正をしたいと望んでいました。1661年には、このことがらに関して2枚の文書が出されました。ひとつは、「浸礼を受けた人々」のメンバーであったジョン・スタージョンによって書かれた「宗教に関して英国国教会とは異なる見解や信条への寛大さを求める嘆願書」というものでした。もう一枚の書類とともに、これは迫害の罪悪を示し、信教の自由を主張するものでした。またバプテストが市民として王とその役人たちに従いたいということをも説明していました。第2番目の書類は「苦痛のためのシオンのうめき。罪なき者の血が流されることを防ぐための真実な努力」と名づけられていました。これには、ジョセフ・ライト、トーマス・モンク、ジョージ・ハモン、ウイフィアム・ジェフレイ、フランシス・スタンレイ、ウイリアム・レイノルズ、フランシス・スミスたち七人のバプテスト牧師が署名をしていました。ジョセフ・ライトは真理のために少なくとも20年間、投獄されていたのでした。

 英国中で、バプテストは追われ続けていました。しかし、それでも彼らは王に訴えました。1660年7月には、チャールズ王2世に対して嘆願書が出されました。その中で、バプテストは自分たちの家庭で祈るときさえおびえていなければならない状態であることが述べられていました。1661年1月25日、「ケントに住み、良心に基づく証言のために、今、メイドストーンの刑務所に投獄されている囚人たち、アナバプテストと言う名で呼ばれている者たちの苦難の提示と嘆願」と題するもう一枚の嘆願書が出されました。(注1)

 そのうちに、王は非国教徒集会法令(それは、国教会の教会堂建築の中で以外の宗教的な集会を多くても4人までに制限する法令でした。)と、5マイル法令(町や市からバプテスト説教者を締め出す法令でした。)(1664年)によって、非国教徒バプテストの息の根を止めようと企てました。ところが、政府がどれほど厳しい罰を加えようが、バプテストたちは人に従うことよりも、神に従うことのほうを選びました。刑務所は敬虔な神のしもべたちでいっぱいになりました。けれども私たちの先輩はそのような抑圧の前に屈することはなかったのです。全容をお話するにはスペースが足りません。アメリカのバプテストたちがこのような霊的祖先たちに負うところがどれほど大きなものでしょうか。私たちの先輩は、抑圧霊的な領域にな何の力も持っていないことを堅く信じていたのです。

 願わくば、私たちは次の世代に同じような相続を伝えることができますように。

注1、 J.M. Cramp, Baptist History(London: Elliot Stock, 1870) P.285


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