1月23日 ジョン・ウエザーフォードと神の殉教者のしるしみ
ことば:ガラテヤ6:11−17
1833年1月23日、永遠の報いを受けるために天に召された年老いたベテランのバプテスト説教者の最後、ジョン・ウエザーフォードのなきがらを納めた棺おけの列が通り過ぎるとき、ひとりの小さな少年は父親の手をしっかりとにぎりしめていました。少年は、この十字架の老兵士のからだを見つめて、胸の上で組まれていたその手が硬直して血の気を失っていることに気づきました。その手の異常に白くて決して動くことのない深い傷跡が幼い少年の心に拭い去ることのできない印象を残しました。(注1)
後に、この少年は優秀な内科医となりました。そして、フェザーフォード牧師が1773年に5ヶ月の間、ヴァージニア植民地のチェスターフィールド郡刑務所で拘束されていたことを知りました。刑務所の鉄の棒さえ、神のしもべが説教をすることを止めることはできませんでした。彼は、鉄格子から手を伸ばして、外で待っている会衆に向かって救いのメッセージを宣教したのでした。卑劣な者たちは、窓の横に立ってフェザーフォード牧師の腕をナイフで切りつけるようにそそのかされました。牧師の血がしたたり落ちて、贖いのメッセージを聞いている人々にふりかかっていたということです。
ホワイト博士は60年以上ずっと、あの白く深い傷跡が何であったのを考え続けていました。彼がその原因を知ったとき、それを「主イエスのしるし―神のヒーローの殉教のしるし。彼の高貴な記念の、また神の御国のために苦しんだすべての者たちのための勲章」と呼びました。
何度か窮屈な刑務所に拘束された後、ウエザーフォードは面会の特権が与えられました。それからしばらくして、彼の釈放の許可が出たのですが、看守は刑務所滞在費(部屋と食事)が支払われるまではウエザーフォードの釈放を拒絶しました。ほどなくして、匿名でこの費用が支払われ、ウエザーフォードははれて自由の身となりました。それから20年以上たって、パトリック・ヘンリーがチャ―ロット郡に移り、近くのバプテスト教会の牧師として働いていたジョン・ウエザーフォードの隣に住むことになりました。彼らは互いに市民と宗教の自由のための戦いについて話していたとき、ウエザーフォード牧師ははじめてパトリック・ヘンリーこそが自分の保釈金を支払って、刑務所からの釈放を可能にしてくれた人物であることを知ったのでした。ウエザーフォードはその後、いつもパトリック・ヘンリーのことを愛と感謝をもって人々に話したとのことです。
ウエザーフォードはその晩年、体力を失い、遠くまで旅をすることはできなくなりました。けれどもしばしば近隣において説教を続けていました。彼は病床に伏しましたが、床の中から、哀れな罪人に対する驚くべき神の愛について語り、彼の病床に訪れた人々に、ニュートンの書いた「アメ−ジング・グレース」を歌うように頼みました。そして彼らに主の恵みを語ったのでした。賛美の叫びと不動の信仰をもって、ウエザーフォードは、彼の主とともに住むためにこの世を去っていきました。90歳以上におよぶこの地上の旅路を終えて・・・。
注1、Lewis Peyton Little, Imprisoned Preachers and Religious Liberty in Virginia (Lynchburg, Va.: J.P.Bell Co. 1938) , pp.338-58
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