バプテストの歴史
2004年1月18日

 

1月18日 神は孫ではなく子供を持っておられる
       みことば ヨハネ1:11−14

 バプテストのもっとも大切にする特徴の一つは「たましいの自由」です。そしてそのことこそがロードアイランドの創立者ロジャー・ウイリアムスの中心的な教えでした。けれども今日ある人々は、「たましいの自由とはどういう意味ですか。」と尋ねるでしょう。1917年、ジョージ・ツル−エット博士は米国国会の壇上から次のように話しています。

 「人は、家族、教会、国家、社会、あるいは最も親しい友達や仲間からさえも離されて、個人的に直接に神に向かわなければなりません。誰でも、神の御前にひとりで出なければならないのです。このような重要なことがらにおいては、保証人も代理人もありえません。各々が自分自身のために悔い改め、自分自身で信じ、自分自身の意思でバプテスマを受けなければならないのです。」

 ロジャー・ウイリアムスは、いったい英国のどこでこのような原則を学んだのでしょうか。ウイリアム・カスカート博士は次のように述べています。「ロジャー・ウイリアムスが『たましいの自由』を学んだのは、おそらくサムエル・ホウからであったと思われる。ホウの教会は、『王にはただ世俗のことにおいてのみ従うべき』で、『人間の良心を縛るような法律を作ることのできるプリンスなどは存在しない。』と信じていた。」

 サムエル・ホウはロンドンの「死人の場所」と呼ばれるところの教会を七年間牧会していました。そしてその時代の宗教界を動かすような騒ぎを起こしたことはありませんでした。彼に従う者たちは「教会のかしらはイエス・キリスト以外にはいない。」と堅く信じていました。ホウはひどく迫害を受け投獄されました。そして監獄の中で地上の生涯を終えました。ときに1641年1月18日のことです。

 ロジャー・ウイリアムスは「雇われ者の働き」の中でサムエル・ホウについての賞賛のことばを述べています。ホウがロジャー・ウイリアムスに与えた敬虔な影響を明らかにするためにその文章を引用しておきましょう。「私は、キリストの証人であり説教者であった、また靴直しと呼ばれて軽蔑されたが、みことばを追求し・・・みことばを学んだ人として愛されたサムエル・ホウを忘れることができない。彼にまさって聖なるみことばを語ることのできるラビもほとんどいないであろう。」

 サムエル・ホウが召されたとき、国教会は「聖別された地」に彼の遺体を葬ることを許しませんでした。そしてショーデイッチの教区墓地に警備を配置しました。ホウの従者たちが入り込まないようにするためです。この愛すべき神のしもべのなきがらはアグネス・ラ・クラ−に葬られました。ロジャー・ウイリアムスによると、「何百人もの神の民が彼の葬式に参列した」ということです。

 サムエル・ホウが高度な教育を受けていなかったという可能性はあります。(彼は「充分な聖霊の教え」という小書を著しています。)彼は靴直し職人として生活のために働いたようです。多くのバプテスト牧師が小さな迫害を受けている群れを牧会するために自給の生活をしたのです。ホウの証しは、もうひとりの靴直し職人、「近代宣教の父」、ウイリアム・カーレー博士を思い起こさせます。自分たちの足をこの地上においてもその心を天においていたすばらしい人々のために神に感謝しましょう。アメリカの最も偉大ですばらしい原則について考えるとき、私たちは、これらの謙遜な神のしもべ、サムエル・ホウとロジャー・ウイリアムスのことを喜ぼうではありませんか。彼らは、教会と国家の分離、「たましいの自由」を主張したのです。なぜなら、彼らは神のみことばを何よりも重んじたからです。


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