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1月17日 スイスにともされた福音のともしび
みことば 使徒5:29
アナ・バプテストということばは教会と国家との結合に反対し、良心を持って国教会の外にいつづけた人々すべてに軽蔑の意味で使われてきたことばです。現代の研究によって、これらの人々の多くが立証されました。また現代の研究者たちは、喜びをもって彼らを現代バプテストの先祖としています。ヘンリー・S・ブラッジは、このような神のしもべたちの間に見られた共通した特徴を示しています。私たちはこの真理を今日のバプテストの特徴として喜んで受け入れたいと思います。ブラッジがあげている点とは次のようなものです。
1、聖書こそが信仰と実践の唯一の権威である。
2、キリストに対する信仰だけが救いをもたらす。ゆえに、幼児洗礼は拒絶されるべきである。
3、教会はただイエス・キリストに対する個人的な信仰告白に基づくバプテスマを受けた信者のみによって構成される。
4、教会はその働きにおいて完全に独立していおり、外部からのいかなる干渉も受けるものではない。
5、国家は神の律法に反することのない限り、命令に従うように要求できりが、個人の良心の自由を無視する権利はない。
コンラッド・グレベルは有名で裕福なスイス人家系出身でした。彼の父親は、チューリッヒの東にあるグルーニンゲンの行政官を務める人物でした。ですからコンラッドは教育を受けるチャンスに恵まれていたのです。結婚後すぐにこの若いグレベルは救われました。そして1522年までに、彼は公に福音を弁明し、みことばの働き人になる望みを表明していました。ツヴィングリの教えに傾倒していたグレベルは聖書の学びに没頭したのでした。グレベルをはじめ他の若いいわゆるアナバプテストたちはツヴィングリに大きな影響を受けていたことは確かです。しかし、彼らはそれ以上に聖書に負うところが大きかったのです。言うまでもなく、彼らはツヴィングリの教えと聖書の教えとの間の矛盾にぶつかりました。そして、1525年1月の、あの歴史に残る夜、信者のみのバプテスマを教え始めたのは、まさにこのグレベルその人でありました。そのため、若いグレベルはアナ・バプテストのチャンピオンとして出現するのです。
1525年の初めにグレベル家に子供が生まれます。コンラッドはその子にバプテスマを授けませんでした。なぜなら、幼児洗礼を支持するいかなるみことばも新約聖書には見出せないと確信するようになっていたからです。このことがチューリッヒ中の騒ぎとなりました。市議会は異端に対して裁判の対決策を整えることにより動き始めました。その会議は1525年年1月17日に開かれ、受洗していない幼児を持つすべての親は八日以内に幼児に受洗させるように命じる布告に帰着しました。この命令に従わない者は市から追放されることになりました。
人の目から見れば、グレベルは福音を宣言するためにわずか1年8か月しかなかったというのは実に悲劇なのでしょう。しかし、長い監禁と健康の不調にもかかわらず、それらの数か月の間の業績というもの実には驚異的なほどすばらしいものであったからです。彼は説教をし、家から家へとを訪門し、救われた人々にバプテスマを施したのでした。彼は再び逮捕されグルーニンゲンの城に拘束されました。このようにしてグレベル、ボロウロッホ、マンツは捕らえられ、1525年11月に、無期拘留の刑が宣告されました。彼らを訪問することはだれにも許されず、パンと水のみが支給されました。グレベルは再びのがれることができました、しかし、彼の自由はほんのつかの間でした。1526年の夏、召されたからです。恐らく疫病の犠牲者となったのでしょう。しかし今日でも、信仰のヒーローとして彼の名前は生きているのです。
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