バプテストの歴史
2004年1月14日

 

1月14日 ダンスホールから監獄の講壇へ
       みことば へブル13:1−6

 ジョン・ピッケットは1744年の今日、1月14日に生まれました。彼は成長すると、あらゆる種類の試合やスポーツを好む青年になりました。そして、やがてダンス教師となってヴァージニアのキング・ジョージ郡からノースカロライナのピーデーに移住します。ときに1764年のことでした。

 1766年、ノースカロライナのジョシア・マーフィーの説教を聞き、彼はキリストを信じバプテスマを受けました。それから彼は、今まで自分の生きがいとしていたスポーツやいろいろな楽しみをひどく嫌うようになります。彼はまた、当時ヴァージニア州のファウキアー郡に住んでいた両親に手紙を書いて、自分の驚くべき生活の変化について知らせました。両親はこの手紙を読んで、とっくに失ってしまったと考えていた自分たちの息子の熱列な信仰深さに驚いたということです。

 1767年、彼の父親の死に直面して、ピッケットはファウキアーに戻ります。彼の友人や近隣の人々の霊的な暗やみの中で生活しているのを見て、ピッケットは彼らに個人的にキリストを証しし始めます。そして家庭礼拝を始め、ついには人々の前で公に説教をさえするようになりました。やがてその働きはあちこちに広がっていきました。その後ジョシア・マーフィーが訪れ、数名の人々にバプテスマを授けました。さらにハリスとジェームス・リードが来て、37名にバプテスマを施し教会を設立したのでした。1772年にジョン・ピッケットは按手を受けて、「カーターの牧場」(注1)として知られる教会の牧師となりました。

 この教会の開拓には暴力的な反対がありました。暴徒が集会所を襲撃し、行政官らが逮捕状を読み上げている間に、集会は中断させられ講壇と晩餐のテーブルは粉々に壊されました。彼らはジョン・ピッケットを逮捕し、ファウキアーの監獄に投獄しました。ところがピケットはその監獄でおよそ3ヶ月の間、鉄格子をはさんで説教をしたのです。多くの人々が悔い改めて神に立ち返りました。ピケットはできる限り多くの人々に勧めをしました。そうです、決して神のことばが縛られることなどありえませんでした。ピッケットの監獄での働きを通して、実に多くの人々がキリストの必要に気付いたのでした。彼の教会のひとりが次のように書いています。「彼はしっかりと信仰に立って、罪人に悔い改めをすすめた。彼は自分の余暇をではなく、自分のすべてを、主と彼の民にささげて、熱心と勇気をもって働きつづけた。」


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