バプテストの歴史
2004年1月13日

 

1月13日 無神論者が急いで町を出たとき
       みことば マタイ27:11−22
  
 アメリカの歴史の中で、聖書信仰者が自分たちのメッセージを響き渡らせるために力強く公開討論会を用いた時代がありました。その時代、鋭敏な論理的能力、個人的に人を引き付ける力、および秀でた弁説の才能に恵まれていたことから、J.N.ホール牧師は「バプテスト信仰の無比の擁護者」とさえ呼ばれました。ホール牧師は1849年に生まれ、1872年の今日、1月13日に按手を受けました。疲れることを知らない働き人であったホールは、当時のいくつかのバプテスト誌を編集する仕事に携わるかたわら、平均1日に一つの説教をしたと言われています。彼がバプテストの立場を擁護するために呼び出されるときは、いつもその討論において優位に立ちました。

 ケンタッキー州トリッグ郡で、ある無神論者クラブが急速に膨れ上がっていました。そして、その無神論者クラブの会員は継続的にクリスチャンたちに議論を吹きかけていたのです。その地域のバプテスト牧師は、彼らの議論の要求を無視すれば自分たちの弱さのせいだと地域の人々に思われるであろうことを悟りました。ですから何か手を打たなければなりませんでした。牧師は、当時の著名な不可知論者ロバート・インガ−ソルを擁立して討論会を開くようにと無神論者たちに依頼し、自分たちはJ・N・ホール牧師をたてて準備を進めました。インガ−ソルはこの依頼を断りましたが、その代わりにアメリカ自由思考協会の会長であるプットマン氏を推薦しました。プットマンはこの申し出を受け入れ討論会の時間が設定され、両陣営に受け入れられました。

 約束の時間、午後7時が近づくと、聴衆席は満員となりました。そしてプットマンが登場しました。ところがホール牧師の姿が見えません。クリスチャンたちは失望しました。プットマンは立ちあがり話し始めました。そして、ホールは自分と会うのが恐くなったに違いないと得意そうに主張しました。そして彼にはもうすでに謝礼が支払われていたので、その日の論題について話す準備をし始めました。「ホールかそれともアンチ・ホールか!」 彼は2時間話し続けたのです。彼は非常に雄弁であったため圧倒的ないきおいで話し、無神論者たちは喜んでいました。ところが、ちょうどプットマンのスピーチの終わりに近づいたころ、1人の若者が集会所にはいってきました。彼はバプテスト説教者のところにかけより、何かを彼の耳にささやきました。プットマンの弁論が終結するとき、「ホール牧師は遅れましたが、明日の朝には着くでしょう。」と、その説教者は報告しました。

 次の早朝、ホールは到着するとプットマンをわきに呼んで前日の夜行なった議論のあらましを尋ねました。それからホールは2時間、人々に語り続けました。そしてほとんどその反論を論破しました。プットマンは二度とその勢いを盛り返すことはできず、二日目が終わるころ、「ニューヨークに急用ができた。」と人々に告げ、急いで町から立ち去りました。ホール牧師はそのあと、福音を語り始めました。彼の最後のプレゼンテイションは、「あなたはこのキリストをどう思うのですか。」ということでした。そして最後に、無神論者や懐疑論者たちに対して、キリストを信じるように招きました。なんと47人が信じる決意をもって前に出てきたのでした。かくしてその地域の不信仰のバックボーンは崩壊し、福音は大胆に宣べ伝えられていきました。


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