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1月12日 ヴァージニア市民軍大佐からヴァージニアのバプテスト使徒へ
みことば マタイ8:5−13
サムエル・ハリスは1724年1月12日、ヴァージニア州のハノーヴァー郡で、敬虔な両親から生まれました。彼がまだ若いころ、ハリス家はピッシルヴァにアに移りました。そこで彼は人々に好感をもたれ、教会管理人、保安官、調停委員、郡の代議士、市民軍の大佐、マヨ要塞のキャプテン、そして要塞と軍の部長などの要職が与えられました。しかしこれらのすべての評判も彼のたましいの必要を満たすことは出来ず、サムエル・ハリスは深く考えるようになります。
ハリスはバプテストと呼ばれる、当時はどこででも反対を受けていたセクトの集会に出席し始めました。軍服で要塞を訪れる途中で、ハリスは小さな家に立ち寄りました。そしてその家で、彼はジョセフとウイリアム・マーフィー(当時は「マーフィー・ボーイズ」と呼ばれていました。)が福音を語るのを聞いたのでした。彼ははた織機の後ろにかくれるように座っていましたが、神は彼を見出し、非常に深い確信に導いてくださいました。あまりの喜びに、自分の剣などを置き忘れるくらいでした。あるところで、祈りのあと、ハリスはたおれました。目覚めると、彼の顔には喜びがあふれ大声で叫んだということです。「栄光あれ! 栄光あれ! 栄光あれ!」
彼の改心は1758年ころであったようです。ハリスはすぐにみことばの働きを始めました。初期の働きでは、彼はしばしばダニエル・マーシャルとともに旅をしました。このマーシャルこそ彼に非常に影響を及ぼした人物なのです。ハリスは非常に有用な働きをしたことから、「ヴァージニアの使徒」という名前を受けました。
アレン・ウイレイの招きによって、ハリスはカルペッパーまで旅をしました。ノースカロライナからのジェームス・リードのような人々とともの後の訪問で、彼らは、ジェームス川とラッパハノック川の間の地域へのほとんど定期旅行者となりました。またシェナンドウ渓谷までも入ろうとさえしたのでした。改心したころ、彼は平均的な生活を営んでいた人でしたが、ハリスはすべてを放棄し、福音を遠くに広めるために非常に質素なやり方で彼の家族を養うようになりました。彼の説教の能力は人々の心にまでそのメッセージを届けることのできるものでした。ある人々は言います。「おそらく彼の説教の能力はウイットフィールドに勝るとも劣らぬものであった。」 またある人々は彼のことを次のように述べています。「大きな大会で彼が説教しているとき、彼の目から天の光の流れがあふれ出ていた。また彼の顔が向けられるところはどこであろうと、一瞬のうちに何百人もの心を刺し貫いた。」と。
ダニエル・マーシャルのように、ハリスはどのような困難によっても失望させられることのない精神を持っていました。オレンジ・カウンテイで説教をしている間に、ハリスは押し倒され、あるときは髪の毛を引っ張られあるときは腕を引っ張られました。またあるときは暴徒によって蹴り倒されもしました。彼はヒルスボローの牢獄にも説教に行きました。そこで彼は閉じ込められました。実にその監獄で、彼には思索の時間が与えられたわけです。
ある男がハリスに借金をして、法廷に訴えられるまで支払いを拒絶しました。彼は祈り求めたあと、天の法廷に訴え、祈りました。「愛するイエスよ。永遠の神よ。この男が借りているお金が私の家族を養うために必要であることをあなたはご存知です。けれども彼は法廷に掛けられない限り返さないでしょう。愛するイエスよ。あなたへの訴えをやめてこの男のさばきを人にゆだねるべきでしょうか。あるいはあなたのあわれみのゆえに別の方法を与えてくださいますか。」ハリス牧師は、神が与えてくださると確信して、この支払いを拒否した男に領収書を手渡しました。驚いた負債者は即座に全額の返却をしたということです。神は私たちを、天の法廷に訴える方法を知っている確信と、誠実と勇気に満ちた者として、また人生においてさほど重要ではないものをほこらない者として認めてくださるのです。
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