バプテストの歴史
2004年1月11日

 

1月11日 教会と政府が結婚する時
       みことば マタイ10:16−23

 現代のアメリカ人にとっては、この国が常に信仰の自由を持っていたわけではないという事実は受け入れがたいことかもしれません。「1758年1月11日、州議会はサヴァンナ(ジョージア)で、英国国教会を州の教会とするという法案が通った。」

 植民地におけるすべての州教会の結果を取り上げることが私たちの目的ではありませんから、次の例で十分でしょう。「初期のヴァージニア、マサチューセッツあるいはその他のいくつかの植民地において、制定されている教会を税金で援助すること及び強制的に出席させること、また反対をするセクトの礼拝を禁じることが法律によって制定されていた。」 ニューイングランド地方の三つの植民地、マサチューセッツ、コネチカット、ニューハンプシャーとともに、南部の五つのすべての植民地において、いくつかの種類の州教会がありました。

 サウスカロライナにおいて、1706年ころ、「通商委員会は公費から英国国教会を支援する新しい法律を制定することを承認した。」1732年ノースカロライナでは、英国国教会を設立する法律が通過した。」

 ピューリタン達はマサチューセッツ、ニューハンプシャーおよびコネチカットで、神政政治を行なっていました。やがて、ピューリタン教会は組合教会と呼ばれるようになり、異なる信仰を持つ者たちを迫害しました。

 私たちは私たちの国の憲法と権利章典のために神に感謝すべきです。私は米国憲法の第一次改正案のことばが、ジェームス・マデイソンの引用によるバプテストの所産であったということを知り感激を覚えます。「国会は、宗教の国教化にかかわる、あるいはその自由な活動を禁止する、さらには言論・出版の自由、平和裏に集う人々の権利や苦情を解決するための政府への陳情権を奪うような法律を所有することはないであろう。」 これらの言葉を注意深く読んで下さい。いかなる憲法的な制限も教会にもたらされることはないのです。むしろ、制限は政府の機能にこそ課せられているのです。数年の後、トマス・ジェファソンは「分離の壁」について述べています。けれども、彼は、教会から政府を隔てている壁について述べているのであって、政府から教会関係者を締め出す壁について述べてはいないのだという点を指摘しなければなりません。

 振り子はもう一方にゆれました。バプテストは州立教会という考え方に反対しました。というのは私たちバプテストはつねに、すべての人の信教の自由というものを信じてきたからです。けれども、今日、多くの自由主義者たちは、この第一修正憲法を曲解して、私たちの公の場からすべての宗教と道徳を取り去ってしまおうとしています。「教会と国家が結婚すれば正義は廃れる」というのは確かです。けれども、「幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。」(詩篇33:12)という事実も理解しておきたいものです。

 教会と国家の分離に関しての正しい理解が、アメリカを今日あるような力に満ちた国家へと形成していったのです。DLC


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