|
|
1月9日 アメリカにおける信教の自由の父
みことば マタイ22:21
不思議に思えるかもしれませんが、アメリカの信教の自由はまだ初期開拓時代には存在していませんでした。人は定められた教会に(そして、その後の時代も州の教会に)従わなければなりませんでした。そうしなければその入植地から追放されることになるのです。事実このようなことが、1635年10月にロジャー・ウイリアムスの身に起こりました。彼は州裁判所で裁判にかけられ、州知事ジョン・ウインスロップの判断によって「権威に対して急進的で危険な思想を持っている」として有罪とされたのです。彼は、自分を逮捕してイギリスへ追放するために差し向けられたマサチューセッツ軍の兵士の目の前で逃走しました。
今日のロードアイランド州プロヴィデンスに逃れてきたウイリアムスとその仲間達は、ナラガンセットの首長であった二人の友人、キャノニクスとミアンツノーミからの贈り物として与えられた土地に住むようになりました。そして、まさにここで信教の自由というアメリカン・ドリームが生まれたのです! 彼はロードアイランドの設立の火蓋を切り、良心の自由を要求した設立認可を英国から勝ち取りました。1644年の契約が撤回されようとしていたとき、ニューポートのジョン・クラーク博士とともにウイリアムスは英国に帰りました。そして1663年に、チャールズ2世は、「宗教に関する完全な自由」をうたったロードアイランドに好意的な新しい契約を認めました。
バプテストの歴史学者たちの間で、アメリカにおける最初のバプテスト教会とされるべき栄誉を受けるのはどの教会にあるのかについての議論が長い間続いています。けれども、「1638年3月、近くにある冷たい川の流れの中で、ロジャー・ウイリアムスがエゼキエル・ホーリマンによって浸礼を受けた。このホーリマンはセーラム教会のメンバーであった。続いてウイリアムスがホーリマンと他の人々にバプテスマを授けた。このようにしてプロヴィデンス・バプテスト教会が組織された。」(注1)との記録があります。間違いなくこの教会こそが新大陸で最初の、教会と国家との分離、精神自由、完全な信教の自由を掲げる教会でした。ですから、このロジャー・ウイリアムスは我が国の歴史において高く評価されるべき人物でありましょう。
1872年1月9日、ロジャー・ウイリアムスをたたえて、ナショナル・キャピトルにモニュメントが建てられました。そのときの除幕スピーチはロードアイランド州の上院議員ヘンリー・ボウエン・アンソニーによって行なわれました。そのスピーチの中で上院議員は次のように述べています。
今や文明化された政府の基本的原則の土台となっている信教の自由も、かつては、それまでに人類の注目を浴びたいかなる主張、道徳的、政治的、あるいは宗教的な説よりも狂気じみていると考えられていました。そのような説は非現実的で秩序を乱すもの、また不敬虔な考えであると思われていたのです。これによって社会秩序が転覆させられないのは、その説があまりにも不合理性なからだとされていたのです。(注2)
ロジャー・ウイリアムスの像は、フランクリン・シモンズによって1872年に制作されました。そして今日それはワシントンD・Cにあるコラム・ホールのハウスウイング4階に置かれているはずです。
1965年、わが国会はロジャー・ウイリアムスの国家的記念が定められ、このために、国立公園担当省は1974年に、プロヴィデンスの市街に4、5エーカーの土地を購入しました。ロジャー・ウイリアムスは1683年に召されましたが、彼の「信仰の自由」というバプテスト信条は、今もアメリカにおいて生き続けています。そして、私たちは計り知れない負い目を彼の自由へのヴィジョンに負っているのです。DLC
|