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1月7日 だから収穫の主に祈りなさい。
みことば マタイ9:35−38
バプテスト宣教団はまだ始まったばかりでしたが、インドにおいてはキリストのために大いなる前進がありました。「近代宣教の父」と呼ばれるウイリアム・カーレーが宣教地への道を開き、ジョン・リーランドのような敬虔な牧師たちは英国内において世界伝道のための訴えを掲げ始めていました。カーレーの息子、ジャベズの出来事は特に言及に価するものです。カーレー博士の二人の息子の改心の後、もう一人の息子ジャベズの救いについて非常に心を痛めていました。そのころジャベズはちょうど法律の勉強を始めたばかりでした。カーレーは支持団体に息子の救いのための祈りの要請の手紙を書きました。
協会の20周年記念の時、リーランド博士は「ロンドンにあるミッションの友達(オランダ人の教会、オースチン・フリアース)」の2000人に向かって、「万軍の主の熱心がこれを行なわれる」という題で説教をしました。説教の中で、主にある働きを紹介しながらカーレーの息子、フェリックスとウイリアムの救いの喜びについて話しました。「けれども彼にはもうひとり、三番目の息子があります。そしてその息子はカーレーの心の痛みなのです。というのは、彼は品行方正な青年ではありますが、まだ悔い改めていないのです。」と、リーランドは言いました。そして彼は泣きだしたのです。そしてジャベズ・カーレーの改心のための真摯な祈りに加わるように会衆に力説しました。おおよそ2000名が恵みの御座加わりました。そして、神はこの祈りに素晴らしく答えてくださったのでした。
実に次の郵便で、ウイリアム・カーレーは、ジャベズの改心を知らせる手紙を受け取りました。彼の改心は、まさにあの祈り会と時を同じくしたというのです。ジャベズは「弁護士として雇われていた」のですが、まもなく宣教師の働きに興味を示すようになります。1814年1月7日、神の摂理により、宣教師をアンボイナに送ってほしいという依頼がウイリアム・カーレーに届きました。そこでは2万人の現地の信者がいるにもかかわらず、彼らに仕える宣教師がいなかったのです。ジャベズはまだ20歳にも満たない青年でしたが即座にこの招きに応じました。そして短期間のうちに結婚をし、按手を受け、みんなに別れを告げて新しい任務にむかって出発して行ったのでした。
ジャベズの按手のとき、実は彼の父親と二人の兄弟が彼の上に手を置いたのでしたが、カーレー博士は高らかに神をほめたたえて言いました。「これは永遠の賛美にふさわしいことです。私とともに主をほめたたえ、ともに主の御名を高くあげましょう。私にとって、主は、あまりにもすばらしいお方なのです。私の子供たちはみんな主を愛しています。そして4人のうちの3人までが異邦の民に主の福音を述べ伝える働きにあずかりました。そして彼らのうちの2人は新しい国に出て行くのです。」
私たちの誰もが外国の宣教地に行くわけではありません。ですが、ああ、私たち一人一人が、宣教事業における祈りの果す役割の重要性を学ぶことができますように! ウイリアム・カーレーの初期の働きにおいて、英国ノースハンプシャー協会に属するバプテスト教会の牧師たちは毎月、日を各教会に割り当てて、毎日カーレーの働きのために祈ったということです。パウロも、コリントの教会に、「互いに祈りによって助け合う」ことをすすめています。私たちのこどもが収穫を待つ世界の畑に遣わされるように祈ろうではありませんか。DLC
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