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1月5日 死に至るまでちゅうじつ忠実に
みことば 黙示録12:11
私達と同じように真理の不滅を信じていた16世紀のアナバプテスト殉教者たちの何人かを喜んでこの書で取り上げたいと思います。アナバプテストたちは、信者としてバプテスマを受けた新生した者によってのみ構成される「自由教会」を信じていました。フェリックス・マンツが述べているように、彼らの願いは「キリストを受け入れ、みことばに従い、キリストの御足のあとに従いたいと願う者たちを呼び集めること、また彼らをバプテスマによって一つにすること、そして、他の者たちをその状態のままにしていおく」ことでした。
フェリックス・マンツは、チューリヒで大聖堂参事会委員として働いていたカトリックの祭司の私生児として生まれました。若いマンツが特別な教育を受ける特権にあずかっていたことは明らかです。と言うのは、彼はラテン語、ギリシャ語、へブル語の教育を受けていたからです。若いギリシャ語の学者として、宗教改革者ツイングリーのもとで新約聖書を学びました。そしてこの宗教改革者の教えによって改心するのです。若い学者として彼はその学びを続けるうちに、ツイングリーの改革の考え方に満足できなくなり、ある人々とともに自分の家で集まるようになりました。このようにして、その兄弟たちの中で1525年に最初の信者のためのバプテスマが執行されたのは、まさにこのフェリックス・マンツの家庭集会での学びからだったのです。
これらの若い信者達は、チューリヒで家から家への訪問伝道と言う新約聖書の方法に従い始めました。そして、他の多くの人々が「信者のみのバプテスマ」に従いました。しかし改革者達はアナバプテストを脅威と考え、1525年10月8日に、アナバプテストの何人かを逮捕し投獄しました。マンツはその逮捕を逃れましたが、間もなく捕らえられコンラッド・グレベルとゲオルグ・ブラウロッホとともに、グルニンゲンの城に幽閉されます。後にこの三人はチューリヒのウイッチ塔に移されました。そして、そこから脱出することに成功しました。その後も何回か逮捕されました。それはパウロが繰り返し投獄されたことを思い起させるものです。
1587年1月5日、フェリックス・マンツは、「キリスト教の秩序と伝統に反して再浸礼に参加し、……キリストを受け入れキリストに従いたいと願う人々を集めたいとのべたことを認め、バプテスマによって彼らと結びついたという理由で」死刑の宣告を受けました。改革者達は1526年3月に再浸礼に対して死刑を決定していたのですが、マンツがその最初の犠牲者となったのでした。
マンツは、その判決に従って、ウエーレンベルグ監獄から縛られ、魚市場を
通って船に連れられていった。その道すがら、彼は落胆したようすで並んでい
る仲間達に、またリマット川の堤防の上に立っている人々に証をした。試練に
耐えてキリストに真実であり続けるようにと懇願する彼の母親の叫び声が水面
に聞こえた。静かにボートは湖の上をすべるように進んでいった。彼の腕と足
は縛られていたが、彼は大声で歌っていた。「イン マヌス ツアス、ドミニ、
コメンド スピリツム メウム」(主よ、あなたのみ手に、我が霊をゆだぬ。)
しばらくして、チューリヒの湖の冷たい水がフェリックス・マンツの頭を覆って
いった。
けれどもキリストの働きが滅びることはありませんでした。私たちが、このような強い霊的な相続の上に立てられていることを神に感謝しようではありませんか! DLC
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