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1月4日 鉄格子ごしにみことばを語った人々
みことば エペソ3章
使徒パウロがそうであったように、ヴァージニア州のウイリアム・ウェバーとジョセフ・アンソニーは、粗末な牢獄をよく知っていました。ヴァージニア州においておそらくこのウェバーより多くの迫害を受けた人はいなかったでしょう。彼は1770年12月7日、チェスターフィールド郡で捕らえられ、1771年の3月7日まで郡刑務所に投獄されていたのです。
ウイリアム・ウェバーとジョセフ・アンソニーがジェームス川を越えてグーチランドからチェスターフィールドに来た時、郡のどこにも一人のバプテストもいませんでした。彼らは教会開拓者として、過酷な扱いを受けなければならなかったのです。治安判事は、多くの人々が「正義」へと改宗していること(不思議なことに彼らはバプテスト信仰をそのように表現しているのです。)と、これらの若い働き人はさらに害を与える可能性があるとして、逮捕令状を発布。彼らを逮捕し、投獄しました。
チェスターフィールド郡の議事録1771年1月4日、489ページ第4項には次のように記録されています。
ジョセフ・アンソニーとウイリアム・ウエーバーは、一般的にアナバプテ
ストと呼ばれる英国国教会に対する反対者として当郡内で巡回説教をしたた
めに取られた逮捕状によって出廷させられた。彼らは当郡内のいたるところ
において人々の求めに応じて集会を開き、あらゆる人々に説教をしたことを
認めたので、ジョセフとウイリアムは自分たちがそれぞれ100ポンド、お
よび彼らの二人の保証人がそれぞれ50ポンドの罰金あるいは彼らの財産を
もって支払うという内容の誓約書に署名するまで拘留されることとなった。
チェスターフィールド郡において、7人のパプテスト説教者が監獄に投獄されました。そしてその監獄は今日でも残されています。ある人はまるで獣のように鞭打たれ、ある者たちは罰金を化せられました。
ウエーバーとアンソニーは、捕らえられている間も週に2度説教をしていました。彼らが会衆のところに出かけることは許されていませんでしたから、会衆のほうが彼らのところに来ました。監獄の周囲が彼らの集会の場所となったのです。そして窓の敷居が、聖書と賛美歌を置くための台として使われました。神の真理を語る彼らの声は、鉄格子も妨げることは出来なかったのです。強力な鉄柵は彼らの肉体を閉じ込めることは出来ても、その声や心を閉じ込めることは出来ませんでした。この監獄の窓の下では、すばらしいリヴァイヴァルの光景が見られ、イエス・キリストに立ち返る多くの人々が起こされたのでした。
バプテストの信仰が州の費用でチェスターフィールド郡に広く宣伝されたわけです。そしてそれ以来、この信念は一般の人々の心情に強い影響を与え、良心を制御し、その心を励ましてきました。ETW
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