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1月2日 ドイツに届けられたバプテストのメッセージ
みことば 使徒8:26−40
ヨハン・ゲルハンド・オンケンは十代のころ母国ドイツを去り、イギリスに移りました。彼はそこで、敬虔なスコットランド長老派信者の商人のもとで奉公をすることになります。彼は自分の聖書を非常に大切にし、常に読み続けました。けれどもこの若者がほんとうに自分の霊的な必要に気づくようになるのは、ある大きな事故を経験した後のことでした。死と直面するような状態から回復すると、あるメソジスト教会で熱狂的な説教を聴いて、キリストを受け入れたのです。
そしてその後すぐに、彼は宣教師となることについて考え始めました。後に彼は次のように書いています。「あの日以来、私は弱い者ではありましたが、罪人に対する神の愛と、神の力に満ちた恵みの証人となったのです。」
オンケンは自分自身をドイツへの宣教師としてささげ、英国コンチネンタル協会によって派遣されました。ルーテル派の信仰は伝道の熱に欠けていたので、英国改革派教会に加入し、ハンブルクに居住するようになりました。彼の働きはドイツ国教会によっては受け入れられまず、ついに説教することさえ禁止されてしまいます。そこで彼は聖書を配布するために、エジンバラ聖書協会の一員となり働きました。その生涯の間にオンケンはニ百万冊以上の聖書を配布したと言われています。
彼らに最初の子供が与えられた時、幼児洗礼を施すことについて疑いを持つようになりました。彼は神のみ言葉を学び、聖書には幼児洗礼のための根拠はなく、ただ救いを受け入れた信者にだけに授ける全浸礼によるバプテスマが唯一の新約聖書の教えるバプテスマであるということを確信し、浸礼を受けることを切望するようになりました。けれども5年間、彼は新約の礼典を施す者を一人も見つけることはできませんでした。しかし、やがてドイツで学んでいるアメリカ人バーナス・シアーズ牧師が、オンケンと神のみ言葉に忠実でありたいと願う6人とに出会います。
1834年4月22日の夜、彼ら7人の信者がハンブルグの近くのエルベ川で浸礼を受けることによりドイツにおける多くのバプテストの最初の実となったのでした。翌日彼ら7人で教会を設立しました。これが近代ドイツにおける最初のバプテスト教会です。オンケンが彼らの牧師として選任されました。
それ以降のオンケンの人生は実に驚くべきものでした。その後4年足らずのうちに、教会はベルリン、オルデンブルク、シュトットガルトにも誕生しました。オンケンは治安判事の前に呼び出され、ハンブルクの評議会はバプテストを抑圧しようとしました。そして1840年5月に、ついに彼は逮捕され投獄されました。これはその後数えきれないほど起こった投獄の第一号だったのです。けれどもこの迫害こそが霊的な前進をもたらす結果となったのでした。オンケンの証はドイツ国内に限られていたわけではありません。というのは、彼の働きはデンマークやオランダ、さらにはリトアニア、スイス、ポーランドそしてロシアにまで及んだからです。
1860年に、法律は信教の自由を認めました。そして1867年の4月17日、ハンブルク第1バプテスト教会は、1400人を収容できる新しい会堂を献堂したのでした。1884年1月2日、「オンケン牧師のたましいは、スイスのチューリヒから、その翼をかって、永遠の地へと飛び立ち」ました。このようにして「ドイツ・バプテストの使徒は、故郷へと導きいれられたのでした。」
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