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1月1日 バプテストの証がジョージアにおよぶ
みことば 使徒18:1−11
バプテスト史において、「分離主義バプテスト」の歴史は今日までほとんど無視されてきました。しかしアメリカ南部におけるバプテストの急激な成長と南部バプテスト連盟の急増を、このグループの影響なしで説明することはできません。本書のおもな目的は分離主義者を扱うことではありませんが、彼らの働きには幾度となく触れることになります。
当時、分離主義者はシュバル・ステアーンズ(ノース・カロライナ)、ダニエル・マーシャル(ジョージア)、サムエル・ハリス(ヴァージニア)らによって導かれていました。彼らの行くところどこででも教会が建てられ、力ある聖霊のみわざが見られました。きょうの主題はこの中のひとり、ダニエル・マーシャルです。彼はサウス・カロライナで主に仕えたえ後、ジョージアへ進出しました。ジョージアでは、彼の働き以前にもすでにバプテストの足跡は見られましたが、ジョージア州における最初の教会をキオキ―に移植したのはこのマーシャルでした。そして彼の働きは実に驚くべきものでした。
1771年、1月1日、マーシャルはジョージアに移り住みました。そして、1772年の春までには、キオキーの第一バプテスト教会の前進となる群れを導いていたのです。1784年に天に召されるまで、彼はその教会の牧師として仕えていました。そのすばらしい働きについては本書で何度かふれることになると思いますが、ここではキオキ―教会の初期の出来事だけに目をとめることにいたしましょう。
1757年のジョージア法では、「英国国教会の儀式形式に基づいて」行なわれないいかなる礼拝も禁止されていました。しかし、そのような中でもマーシャルは「奥地のあずまや」集会を導いていたのです。それは、ちょうど彼が祈りのために頭をたれたその時に起こりました。彼の肩に重い手が置かれ、「おまえを逮捕する。」という声にその祈りは阻まれました。65歳のこの説教者が立ち上がると、若い保安官は彼に「聖パウロ教区内で説教をしたかどで逮捕する。」と告げました。マーシャルが明日法廷に出廷することをその保安官に告げる前に、マーシャル夫人はその保安官に話しかけ、御言葉を語りました。そして、そのみことばが後にこの保安官に確信と改心を与えることになったのです。
彼が次の日法廷に出頭すると、法廷は彼にジョージアを去るように命じました。彼の息子エイブラハムは、そこでのマーシャル師の返答を次のように述べています。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。」 そして、彼はなお大いなる力を持って説教活動を続けたのでした。そしてこの出来事は決して霊的な実のないむなしいものではなかったのです。なぜなら、あの21歳の保安官サムエル・カートレッジが救いを受け、1777年にバプテスマを受けたからです。執事として仕えた後1789年、カートリッジは説教のために按手を受け93歳で天に召されるまでジョージアとサウス・カロライナで主に仕えたのでした。福音の働きを続けたカートリッジの子孫の一人は彼のことを、「植民地時代のタルソのサウロ」と呼びました。このような目を見張るジョージア州でのバプテストの働きを神に感謝します。
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